第1章 黒の糸
その光景は、施設ではよくある事だった。
殴られる前に見る、光景。
正直、殴られる事には慣れていた。そう、悲しい事に。
しかも、施設では今と違って大人からの暴力だから、今のこの状況に対して、私は特に怖いとは思わない。
殴られて終わるなら、体を差し出すよりそっちの方が数倍はマシだ。
私は振り下ろされる拳を、ただ呆然と見つめていた。
―――リンッ……。
鈴の音が、聞こえた気がした。
「なーにしてんの?」
この場には似つかわしくない、妙に明るい声がして、一斉に皆がそちらを見る。
黒と金の明るい髪、右の首筋には虎だろうか、タトゥーが彫られていて、右目元には泣きぼくろがある。
そして、左耳にある鈴のピアスが、動く度に“リンッ”と綺麗な音を奏でた。
「は、羽……宮……一虎っ……」
呟いた男の一人が、現れた彼を見て青ざめると、次々と驚き始める。
「ダチでもねぇのに、気安く呼んでんじゃねぇよカス」
近づいて来た彼が男達を見下ろし、笑顔が真顔に変わる。
目に光がないからか、その視線が何か恐ろしいものに見えて、私まで震えた。
そこからは一瞬で、彼は躊躇なく一人を思い切り蹴飛ばして、他の男達を殴り始めた。
その姿は、物凄く楽しそうで。
まるで、狩りを楽しむ“獣”そのものだった。
私はその姿に、見惚れていたのかもしれない。
あっという間に倒れた男達を呆然と見ている私の体に、制服の上着が掛けられる。
「大丈夫?」
「ぁ……ありがとう……ございます」
彼の事は知っていた。
何せ同じクラスであり、出席率は悪いけど、席もそう遠くじゃないし、何より有名だから。
まぁ、この学校は有名な不良が多過ぎるんだけど。彼もその一人だ。
「敬語いらねぇって、タメだろ? さんだよね?」
「え……知ってたの?」
まさか、空気な私に気づいていたとは全然知らなかった。
「当たり前じゃん。同じクラスだし」
住む世界が違うイメージだったから、興味ないと思ってたのに意外だ。
「たまにあーいうのいるから気をつけてなー」
「うん。ありがとう」
私は羽宮君の手を借りて立ち上がり、制服のボタンの取れた部分を片手で押さえる。