第4章 乙女は大志を抱けない【藤井昭広】
「ハァ···なんか、悪かったな···篠山」
濡れた口もとをパジャマの袖口で拭き取りながら、藤井くんが息をつく。目はまだどこか虚ろな感じで、声は少し掠れている。
「う、ううん···っ、ていうかあたし言うほど役に立ってないし、逆に迷惑かけてるような···っ」
「···なんでだよ? 篠山がいなけりゃ俺あのまま玄関でブッ倒れてたかもしんないんだぜー?」
「あ、でもそれ、来る時間もタイミング悪かったなって···。ご家族の誰かがでてきてくれると思ってたから」
「あー···篠山が来るちょい前まで兄貴がいたんだけどさ、下のチビ二人が腹減ったっつってうるせーからしゃーなしに外に連れ出してったの」
「下の···」
そういえば、藤井くんは兄弟が多いって。
言いかけて口を閉ざした。
顔色は少し良くなったように見えるけど、さっきまで倒れかけていたひとをこれ以上のおしゃべりに付き合わせるのはやっぱり申し訳なくて。
「しかしまー···さっきはすっげー音したよなー···。俺も何度かやったことあっけど、ぶつけどころ悪ぃとしばらくたんこぶ引かねぇんだぜ」
フッ、と小さく。本当に小さく藤井くんがわらったものだから、あたしはその顔に思わず釘付けになっていた。だから、自分に向かって伸びてきた藤井くんの手の感触を認めるのに時間がかかった。
「この辺か? 念のため帰ったら親か誰かに確認してもらったほうがいいぞ」
「───…」
なにが起きているのか、理解するのに数秒。
湿気を含んだ息遣い。
髪に触れる指先の丸い感触。
それがなんの狙いも思惑もない手だとわかっていても、彼の無垢な優しさにあたしひとりだけが恋心を疼かせている。
藤井くんは絶対に知らない。
狭間を行き交う吐息にのぼせ、
あたしが今めまいを起こしかけていることなんて─────。
「ただいまー!」
「昭広兄ちゃーん、風邪治ったでしゅか?」
「!」