第1章 私は私で私じゃない
「では、また後日!戸締りは必ずするように!」
「早く寝ろよ。肌に悪りぃぞ」
どちらも笑って家に入るところを見届けてくれた
「はい、ありがとうございました。お二人もお気をつけて」
扉を閉めると、言われた通りしっかりと戸締りをして一息ついた
疲れた。久しぶりのちゃんとした会話
でも、心地よい疲れ
小雨にうたれて、濡れた髪が額に張り付く
傘はささなかった。2人との程よい距離が離れてしまうから
湯浴みもあとでいい
玄関に座り、しばし余韻に浸る
冷たい床が気持ちよかった
後ろを向けば、暗い廊下だ
まだ後ろは見たくない。あの2人がいた玄関の扉の方を見つめたまま動けなかった
————「ありゃ訳ありだな」
そう宇髄が言ったのは、空を仰いだ女性を見つけた時だった
俺と宇髄、珍しく合同の任務を終え次の見回り先へ向かう途中のこと
俺達を追いかけるように雨雲がやってきていた
「もう直ぐこの辺りに雨雲が追いつくな」
雨雲を確認し、後ろを走る宇髄から視線を戻した
まるで空を触りたそうに手を伸ばす女性が1人
宇髄の言う通り訳ありなことは一目瞭然
夜の帳が下りてから活動をする俺ですら、こんな夜更けに女性が1人立っている光景を見るのは珍しい
こんな夜更けに物騒だ
若い女性を狙うのは、何も鬼だけではない
今にも雨を降らしそうな雲が月を隠した時
一粒の雨が前髪に当たった
女性が傘を持っていることは承知していたが、思わず羽織で雨から覆ったのは
この女性が、夜空に溶けてしまいそうなのを阻止したかったからかもしれない
このまま1人で帰すわけにはいかない
屋敷まで送り届ければ、独りで住むには十分すぎるほど立派な屋敷だ
ここに独りとは、さぞ心細いだろう
宇髄からの提案でまたここに来ることになり、幾らか安心し女性を見送った
名は薫さんと言うらしい
屋敷に独りで暮らしている
わかったことはこの2つ
なぜ夜更けに外出していたのか、それは聞くのは野暮だと宇髄に言われそうだったので留めておいた
玄関の扉が閉まると、薫さんはまた独りだ
俺達は、門から薫さんが屋敷へ入るのを確認し終えた後も、暫く扉を見つめていた
「宇髄、彼女は危ういな」
「だな。訳ありどこの話じゃなさそうだ」