第1章 私は私で私じゃない
「薫は危うい」との煉獄の言葉には大いに同意だ
俺は恐ろしく耳がいい
いいものも悪いものも、この耳は拾うことができる
煉獄のでけぇ声に混じる女の声
若い女だ
気配からしても夜道に1人
俺の耳に届いた声は、消えてしまいそうなくらい頼りなくて脆い
その癖耳に張り付いて取れない厄介な声
夜道に1人っつうだけでそりゃ訳ありなのは確かだが
屋敷に送り届ける間も、屋敷に着いてからも
薫はどこか危なげな雰囲気を出していた
ギリギリ保った心の均一
少しでもどちらかに傾けば散ってしまいそうだ
若い女独特の覇気もねぇ
このままにしときゃ、鬼に喰われる前に消えちまいそうだ
どうにかしねぇと。俺が薫にそこまでする義理もねぇが
慣れねぇ様子で作った笑顔をもう一度見てぇと思った
とりあえず約束取り付け、その後のことは後で考えりゃいい
煉獄もいることだ
こいつは頼りになる男だ。うるせぇしな
飯食って他愛もない話をすればいい
賑やかな方がいいはずだ
卵焼きか。作れるようになっとかねぇとな
—————卵焼き。独りで食べるには覚悟がいる
甘いのに塩辛い思い出を思い出すから
でも誰かと一緒なら、甘い卵焼きを甘く食べられるかもしれない
けど、あの2人が本当にまた来るのだろうか
その場凌ぎの世間話の一つだったのかもしれない
暗い玄関で目が慣れてくると、同時に疑念も出て来る
私の悪い癖だ
いい事を信じられない
期待すれば裏切られた時の反動が大きくなる
私はいつも心を守るフリをして前に進まずにいる
友達も恋人も作れない
あの人にだって、いつ捨てられても仕方ない。都合のいい女なんだから。そう思って自分の心を守ってる
でもどこかで、こんなの私じゃない
もっと違う私がいるはずって思っている気がする
だから今も暗い玄関にいながら、来るかもわからないあの2人を
今から待っているんだ
馬鹿みたいだ
浮かれているのだから
でも、それもまた私
私は私で私じゃない
そんな矛盾を抱えて私は生きている