第9章 きゅう
そしてその日の夕方。
人がまばらになった店内で、そろそろ店じまいの時間だと片手間に片付けを始めた頃、カランコロンと入店の鈴が鳴る。
「あ…」
入り口の近くに居たせいで、顔を上げてすぐその目と合った。
「谷原さんっ」
少し弾んだような、の声。
あぁ、コイツが…って。
「いらっしゃいませ」
絞り出した声は、どのくらい自然に聞こえただろうか。
「どーも!」
俺とは裏腹に、明るく、楽しそうに笑ったそいつ。
こんな時に限って、ポケットで鳴るバイブレーション。
「すみません、さん。少し裏に」
品定めでもしてやろうと思ったのに…クソ。
バックヤードへと入り、すぐにその呼び出しに出る。
『遅かったわね』
思わずでそうになった舌打ちを、理性で止めた。
「すみません、別件の仕事中でして。
…何かありました?ベルモット」
ーーー
ーー
大したことのない、それこそ片手間で終わりそうだが、急ぎだと言う案件に了解と告げたあと、電話を切る。
「すみません、さん。急用で」
「わかりました。お客様もすくないですし、閉店も間近なので、大丈夫ですよ」
ニッコリと笑った彼女を見て、その"大丈夫"を聞いて、嬉しいと思わなきゃ行けないはずなのに、どこか寂しさを覚える。
「残念です、巷で話題の人気なイケメン店員さんと俺ももう少し話したかったんだけどなぁ」
俺らの会話をカウンター席で聞いていたそいつは、わざとらしそうにそう言って眉を下げる。
「えぇ。僕も、から聞いていた"谷原さん"とお話ししたかったですよ」
エプロンを外しながら、思ってもないことを告げる。
「じゃあ、さん。すみませんが、残りの作業と戸締りお願いいたします」
「はい、任されました」
牽制するようにポンと頭をひとなでし、荷物を持って外へと出る。
夜のせいか、風がひんやり冷たい。
まったく、組織という奴は…。
少し歩いてすぐの駐車場で、車へと乗り込む。
静かな街に溶けないRX-7のエンジン音、太陽の下ならまた話は別なのに。
なんて、感傷に浸る暇も今はまだないのだが。
ウィンカーをあげて、昼間よりもずっと少なくなった通りへと走り出す。
初めの信号は赤だった。