第7章 なな
トントンと、叩かれた方に振り向く。
「やはり、あなたでしたか」
メガネを光らせて、その人が私を見下す。
降谷君の部下。
一度もかけたことのない電話番号を思い出す。
ふと目の眉をハの字にしてる。
「あの人が、心配しておられますよ」
「飛田さん、…ご無沙汰しております。心配って、なんのことです?」
淡々と返す。
「…」
「ポアロにも出勤してますし、驚くことにあれから発作も出てなくて、楽なんです。だから、もう心配はしないでって、伝えてください。
失礼します」
頭を下げ、別の不動産屋さんに行こうと彼の隣を通り過ぎようとすれば、腕を掴まれた。
「何か?」
「…そんな青ざめた顔されて、放ってはおけません。
今すぐ呼ぶので、待ってていただけませんか、」
「っ、」
そんなことされたら、意味がなくなってしまう。
もう迷惑なんてかけたくないのに。
「飛田さん」
携帯を取り出した彼の不意をついて、その手を解く。
「ごめんなさい」
撒けるなんて思わないけど…。
走り出す。
信号が点滅してるのが目に入る、私が渡りきったとき横断歩道の手前で飛田さんが、止まる。
そのおかげで距離ができる。
あそこへはもう戻れない。
いっそ違う街で部屋を探そうか。
そんなことを思いながら、知らない道も駆け抜ける。
はしって、走って。
逃げるように走って。
途中息が切れて、眩暈がして。
それでも逃げて。
だんだんと、人通りも少なくなって。
ここまでくれば大丈夫かと路地裏の陰に身を潜める。
気持ち悪くなって、吐きそうになるけど胃液すら出ない。
何してるんだろう、私。
こんな暗いところでうずくまって。
こんな暗いところで1人で。
新しく部屋を決めるはずだったのに。
ちゃんと1人で歩こうと決めたのに。
一歩進んだと思っても、すぐにこうして同じとこに戻ってきて。
ずっとこのままなのかな、ずっとこのまま進めなくて1人でいるしかないのかな。
ぽろっと一度涙が出て仕舞えば、それを止めることなんてできなかった。
生憎まだ、涙は出るらしい。
なんて、他人事のように思いながら。
止まらない涙を拭い続けた。
寂しくて、悲しくて、苦しくて。
それが何に対してなのか、わからない。