第29章 本当は
口元からヒュッと息が漏れる。馬鹿みたいに心臓が早鳴りして手先が冷えたように感じた。
「…え」
「当たってしまったかな」
傑先輩の眉間に一瞬刻み込まれていた微かなシワがフッと緩み、いつもの表情に戻ってゆく。
今一体、私はどんな顔をしているのだろうか。
「大丈夫だから、そんな顔をしないでくれ」
傑先輩にこんなことを言われてしまうくらいにはみっともない表情をしていて、そして情け無いほどに身体が震えた。
「悟はもう君を傷つけたりはしないよ、親友の私が保証する。あいつは酷く不器用なんだ。純粋で不器用で、だけれど本当は誰よりも優しい。エナもそれは分かっているだろう」
何で、そんな話をいきなり…
「分かっていたはずなんだ…分かっていたはずなのに」
傑先輩の微かな声が静かなこの空間に響いて聞こえる。夕陽に照らされた廊下がオレンジに染まって美しいはずなのに、今はそんなことすら視界に入れる余裕はなくて。
「君をこの腕の中で抱きしめていたかった」
それはまるで何かを懐かしむみたいに、傑先輩はスッと私から視線をそらし自身の掌を見つめた。