第2章 跡には虫も声たてず
「上官のために命を賭ける。上官のために命を使う。上官のために人殺しも厭わなくなる。……そうするには、どうすればいいと思う?」
日清戦争が集結したころだった。
八重と鶴見は2人並んで夕食を食べていた。
開け放たれた縁側から見える桜の木はとても美しく、今度はあれを見ながらおやつを食べたいな、と考えていた。
箸を置いた鶴見がそう切り出したのは、八重が玄米を口にした時だ。
「と、言うと?」
鶴見がこういった仕事の話を夕食の席に持ち込むのは珍しいことだった。
思わず聞き返す。彼は悩むように視線を外へ向けた。
「人が人を殺すことはそう簡単ではない。訓練された軍人でさえ、戦争中だというのに敵を殺すことには消極的だ」
「まぁ……人を殺すというのは気持ちのいいものではありませんからね」
「……まさか、人を殺したことが?」
「あるわけないでしょう。怒りますよ?」
「ふふっ、冗談だ。それで、話を戻すが」
八重も箸を置き、真剣に彼の話を聞くことにした。
「ごく稀に、人殺しに罪悪感を感じない人間もいるが……そういった人間は本当に少ない」
そんな人間に鶴見は会ったことがあるのだろうか。
不意にだれかを思い出すかのように、彼の目が細くなった。
「しかし、軍人として人殺しに躊躇など抱いてはいけない。そんなことをしていては負けてしまう」
「そうですね」
「私はそんな兵士を減らしたいと思っている。せめて、私のそばにいるのなら」
話の着地点が見えず、八重はじっと鶴見を見つめた。
無意識にロザリオに触れる。
「私のそばにいる者は、私のために命を使い、私のために人を殺せるような者でなくてはならない。そんな人間をつくるには、どうすればいいと思う?」
ぎ、と握りしめたロザリオが音を立てた。
鶴見の目が桜から、八重へ戻る。
八重の顔を見て、彼は驚いたような顔をした。
「どうした? そんな怖い顔をして」
「も、申し訳ありません。ただ……鶴見さんにこんなことを言うのは意味の無いことだとわかってはいるのですが……」
「構わん。言ってみなさい」
八重は目を泳がせ、息を吸った。
「神は、人殺しを認めていません」