第2章 跡には虫も声たてず
驚きで目を見張る八重に微笑み、鶴見は手を伸ばした。
するりと頬を撫でられる。
「どうかされましたか? 鶴見中尉殿」
「……いまは、君の養父である鶴見篤四郎だよ」
ふっ、と息を吐き出し、八重は弱々しく笑った。
気が抜けた瞬間、大粒の涙が両目からあふれた。
鶴見は相変わらず優しい手つきで八重の頬を撫でてくれた。
「も、申し訳、ありません。鶴見さんの、声を聞くと、安心してしまって」
「心配をかけたね。助けてくれてありがとう」
養父の手はぬくい。
本当の父かと錯覚してしまうほど、彼の手は、言葉は、八重の心を満たしていく。
八重はしゃくりあげ、頬に添えられた彼の手を握った。
「鶴見さんも、月島さんも、ご無事でなによりです」
ぎゅう、と握ると「すまない」と彼は小さな声で言った。
「八重」
名前を呼ばれる。
包帯に覆われたため、鶴見の顔は半分見えない。だが、開いた両目は真っ直ぐに八重を見据えていた。
「以前、君に聞いたことを覚えているかな?」
「……以前、というと、いつのことでしょうか」
唐突に投げかけられた言葉に八重は目を瞬かせる。
八重と手を握ったまま、ぱたりと布団の上に手が落とされた。
八重を映し、光のあった鶴見の目が一瞬暗く淀む。その目は、鶴見がたまに見せるものだった。
思わず息を飲むと、鶴見は瞬きをしてすぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
「10年ほど前、だったかな。日清戦争が終わり、夕食の席で君に聞いた。私のために命を賭し、私の共に戦ってくれる優秀で忠実な戦友を手に入れるためにはどうすればいいのか、と」
覚えているかな? と再び問いかけられ、八重は「あぁ……」と声をこぼした。
「はい。覚えています」
八重はなぜか、あの日のことをハッキリと覚えていた。