第2章 跡には虫も声たてず
「佐野看護婦長!」
「鶴見中尉殿が倒れたのね?」
テントに飛び込むと、寝ていたはずの佐野は起きていて、脱いでいた帽子をかぶっていた。
外の騒がしさですべてを把握したらしい。
「どんなご様子?」
「ロシア軍の砲弾の欠片で前頭前野の一部を吹き飛ばしたそうです。止血は済ませてあります。意識もあり、受け答えもできています」
「もう1人、月島軍曹殿は?」
「下腹部を裂かれ、意識は朦朧としています。呼び掛けには応えています」
ソリで運ばれてきた鶴見と月島を治療用テントの中に通す。
テキパキと準備を始める佐野のそばで、八重は聞かれたことに正確に答えていた。
「鶴見中尉殿の治療はわたしと鶴見さんが行います。月島軍曹殿は雨宮さん、あなたに任せるわ」
「わかりました」
「承知しました」
看護婦の中でもベテランの雨宮が月島の治療を行う。
鶴見より重症だからだろう。
八重と雨宮は頷き、手袋を装着した。
頭部を血にまみれた包帯で包まれた鶴見を見るのは、八重には辛いことだった。だが、治療するのなら見なければ。
八重は歯を食いしばり、動き出す。
❀ ❀ ❀
桶に入れた水は真っ赤に染まっている。
布も血を吸い、重たい。
八重は疲労と共にため息を吐き出した。
八重の目の下で、鶴見は眠っている。
月島も先程治療を終えたようで、死んだように気を失っていた。
ほとんど眠りの中にいる佐野を見送り、負傷兵のいるテントへと向かう雨宮に労りの声をかける。
八重も、水浴びをしてから残った雑事を終わらせようと立ち上がった。
「八重」
そう思っていたのに、眠っていたはずの鶴見に腕を掴まれ、引っ張られた。すとん、と元の位置に座る。
驚いて視線を向けると、彼はゆるい微笑を浮かべていた。