第2章 跡には虫も声たてず
うなじ辺りで編み込みで結い上げ、濃紺のリボンで飾る。
支給された時は純白だった看護衣は、いつの間にか茶色や赤色にくすんでしまっていた。
編み上げのブーツに足を通し、質素な机に置かれた看護帽をかぶる。
「神よ。今日もみなさんをお守りください」
首からさげたロザリオに呟き、八重は深呼吸をした。
「佐野看護婦長。おはようございます」
「あぁ、おはよう。鶴見さん」
看護婦用のテントから出て、負傷兵が寝かされているテントへ移動する。一瞬見上げた空は、硝煙で曇っていた。
八重は夜勤をしていた看護部長に声をかけた。
佐野は替えたばかりの包帯を抱え、疲れを滲ませた顔に微笑を浮かべた。
「続きはしておきます」
「よろしくね。わたしは仮眠をしてくるわ」
「はい」
13歳の時、看護婦となることを誓った。
それから11年の月日が流れた。
八重も24歳。従軍看護婦として働き始めてもう2年が経過していた。
最初の1年は戦争がなく、病院勤務だったが、今年の2月から日露戦争が始まった。
八重は前線で負傷兵たちの治療に当たっている。
熱や痛みにうなされている兵士には薬を注射し、まともに水浴びができない兵士の体を拭う。
汚れた包帯を替え、母を想い流す涙を拭った。
(……鶴見さんは、ご無事だろうか)
片腕を無くした兵士を見て、ふとそんなことを思う。
同じ戦場にいるというのに、顔を合わせる機会はない。
合わせるとしたら、彼が大怪我をしてしまった時だ。
そんな再会、望まない。
次に会う時は、この戦争に勝利した日だ。
「鶴見中尉が敵の砲弾に倒れた!!」
ぐっ、と兵士の体を拭くタオルをしぼっていた。
外が騒がしい。顔を上げた瞬間、聞こえてきた兵士の声に、八重の心臓は止まりかけた。
「看護婦、治療できる看護婦はいないのか!?」
同じテント内にいる看護婦仲間と目を合わせ、立ち上がる。
テントから出てると、血と土の匂いをさせた兵士に肩を掴まれた。
「貴様、看護婦長はどこだ!?」
「さ、佐野看護婦長はただいま仮眠中であります」
「鶴見中尉を殺したくなければ、叩き起こせ!」
「は、はいっ!」
訳がわからなかった。
じん、と痺れる足を動かして看護婦長の元へ走った。