第18章 【夏油/悲恋】偽り睡蓮花
夕暮れの光が、門扉の向こうに長い影を落としている。
聖地を訪れることができて、これ以上の満足はない。
もう帰ろうかと思い踵を返した、その時だった。
「君、もしかして……何か迷いごとでもあるのかな?」
背後から声をかけられて、ゆめは飛び上がった。
振り返った先に、夏油傑がいた。
画面越しではない、生身の、本物の、憧れの御人。
夕陽を背にした彼のシルエットは、まるで神々しささえ纏っているように見えた。
「あ、あの、わ、わ、私……」
言葉にならない。頭が真っ白になる。
耳がカァッと熱を持ち、心臓が飛び出しそうなほど高鳴る。
手が震える。膝が笑う。
夏油はやわらかく微笑んだ。
その笑顔は、動画で見たものよりもずっと温かく、ずっと優しかった。
「君からは、大きな呪力を感じる。もしかして、自分でも気づいていないんじゃないかな」
「じゅ、呪力……?」
「そう、君には才能がある。私と一緒に世界を変えないかい?」
夏油の言葉に、ゆめの世界が一変した。
初めて、誰かに必要とされた。
初めて、自分に価値があると言われた。
初めて、推しに認識された。
「私、使えますか?あなたの、役に立てますか?」
ゆめの声は震えていた。
悦びと興奮で、涙さえ滲んでいた。頬が紅潮し、視界が滲む。
夏油は優しく頷いた。
「ああ、もちろん。君の力は、きっと素晴らしいものになる」
その夜、ゆめは一通のメッセージを母親に送った。
『推しから声をかけられた』
それが、彼女の最期の帰還可能地点だった。
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