第1章 分岐点 ※
櫻乃side
高くそびえ立つ松の木と、満月が重なり合っている。その景色の美しさにあてられたかのように、
月に触れられるのではないかと錯覚し、思わず手を伸ばした。
勿論掠りすらせず、行き場をなくした手は宙を彷徨った。
『お館様…ごめんなさい』
こんなにも心配してくださり、良い待遇をしてくださっているのに、私は何も話せない。臆病で弱虫だから。
だから私は私にできる精一杯の恩返しをするしかない。それは鬼を滅すこと。
そして頭の中にある2022年の治療法を駆使して、人々を助けること。
強き者は弱き者を守らなければならない。間違えようと、それに反することなどあってはならない。
明日の朝方から、この屋敷を離れることになるだろう。
だから私はお館様たちに言われた、遺書を書くことにした。いつ死んでも、大丈夫なように。
この遺書が一体いつまで産屋敷邸に眠るのかはわからないけれど、
私は部屋に戻ると、懸命に、そして字を間違えないように墨で書いていった。
泣かないようにしていたのに、ポタポタの涙が頬をつたる。紙にシミをつくってしまった。
慌てて頬にある涙を拭う。何故泣いたのか、私にはわからなかった。親の死か、それとも自分の死が怖いのか。
自分が何に怯えているのか、わからない。
自分事なのに他人事のようだった。だけれど私は思った。泣くのは今日で最後にしよう、と。
これからどんな辛いことがあろうとも、笑って、人を支えてあげなければならないから。
たとえ自分が、どうなろうとも。
とうの昔に、この命を捨てる覚悟などしているのだ。