第10章 じゅう
いらっしゃませの、梓さんの声に振り向きもしないでただ、ボーっとしていた時、鼻を掠めたのはなんとなく知った匂い。
だから、思わず声と顔をあげた。
「松田サ…」
ん…と、そんなわけないか。
尻すぼみな声になっても、その前にまぁまぁ大きな声を出してしまったから、同じことだ。
まん丸と開かれたその目に、すみませんと頭を下げる。
長髪に、軟派そうなオシャレな服装、そして穏やかそうなタレ目。
松田サンからかけ離れてるその人、ただ、タバコの匂いが少ししただけ。
…軟派そうは、失礼だったかもしれない。
人違い。
「梓ちゃん、コーヒーと日替わりランチお願いします」
私の隣、ひとつ開けた席にその人は腰掛けた。
よりによって。
松田サンに間違えた手前、すっごく気まずいんだけどな。
席変えてもいいかな。
「はい。あれ?萩原さん今日はお連れ様ご一緒じゃないんですか?」
へぇ、この人も常連さんなんだ。
「今日は頼まれごとがあってね。俺の親友が入院してて、最近目をさましたんだ。
そっちに先顔出してるはずだから、後で来ると思う」
目を覚ましたって、ずっと寝たきりだったのかな…。
聞き耳を立てるなんて、我ながらどうかしてるとおもうけど、梓さんとその人の話に耳を傾ける。
なんとなく、気になってしまって。
「そうなんですかぁ…」
「うん、だから帰りにコーヒーお持ち帰りで淹れて貰っていい?
そいつにも、ここのコーヒー飲みせたいから」
「もちろんです、とびっきりの淹れますね!」
梓さんとの会話を終えたその人をチラッと横目で見ると、目が合った。
ニコッと人懐っこそうな笑顔を向けられて、ドギマギしてしまう。
「こんにちは」
「え、あ、はい」
はいってなんだ、はいって。
「はは、緊張してる?」
「ええ、まぁ」
「そうだよね、ごめんね。急に話しかけて」
「いえ」
「ポアロ、たまに来るの?」
「まぁ、はい」
「ふぅん、俺もなんだ。美味いよね、ここ」
ただ、それだけの会話。
でも、なんか違和感。
「なんか見たことあるなって、声かけちゃった」
「そうですか」
私の記憶には、ないんだけど。
「お待たせしました。カラスミパスタです」
梓ちゃんが出してくれたパスタによって、話が終わる。