第8章 はち
「あの」
うまく言葉に出来ない。
『もしもし、なまえさん??』
「…今、3丁目の、公園付近にいるんですけど」
私1人だけ、時が止まってしまったような気がしている。
携帯を持つ手が震える。
『…!、今行きます。待てますか?』
慰められるわけにはいかない。
約束しちゃったから。
「いえ、大丈夫です。帰れ…ますから」
『なまえさん!?』
重力に従うように、腕から力が抜ける。
かろうじて指を動かし、通話を終える為にボタンを押しポケットに入れる。
泣くわけにはいかなかったけど、ぎゅうっと心臓を握りつぶされるようなこんな気持ち初めてだ。
息が苦しくて、切なくて、やるせない。
…いや、前もあった。
でも結局、これほどのこの胸の痛みを覚えさせるはいつも、松田サンだ。
いつかはあると、どこかでわかってた。
存在してない人間が消える瞬間。
会えなくなる瞬間。
トラックが目の前を横切った時、
私を引き止めた時、反射的にわかった。
もう、会えないかもしれないって。
もう、最後かもしれないって。
フラフラとおぼつかない足で、家まで帰る。
さっきまで普通に持てていたはずの、新しい漫画本の重さがグッと増したような気がする。
「…はは、は、」
乾いた笑いがこぼれる。
心臓が、痛い。
…痛いな。
気付いたらもう、自宅のドアの前。
早く帰ろうって言ったのは、松田サンなのに。
玄関について、さらに力が抜けてドサドサと手からすり抜けた袋。
最後の力を振り絞って、寝室へと向かう。
ぽすっと、柔らかい布団の感覚。
体が沈む。
電池が切れたように、意識も沈んでく。
前回よりもはっきりと明確的に、重くのしかかった。
これは、私しか知らない事実。
松田サンが助けた命。
松田サンの最期。
血が溢れるわけでも、誰かがいなくなるわけでも、罪人になるわけでもない。
ずっしりと、重く鈍い痛み。
もう何も見たくない。
感じたくない。
私がいけばよかった。
もっと早く動ければよかった。
松田サンよりも早く…。
涙腺に蓋をされたかのように、全くと言って涙は伝わないけど、この胸の痛みは確かに現実だった。
…全てが、夢ならよかった。
意識が遠のいてく。