第8章 はち
夢のまた夢、相手だって存在しないのに。
子供なんて、結婚なんて、出来るわけないじゃないか。
…この世界に、松田サンが存在しないのに。
幽霊なんだから。
「意外と子煩悩になりそうだよね、松田サン」
「どうかな」
信号で止まる。
横断歩道越しに、大きな公園が見える。
「こう言う公園でサッカーとか野球とか、旦那さんと息子がしてるシーンとか、見てみたいなぁ」
「そうだな」
「松田サン、さっきから空返事」
意義を申し立てようとした時、ヒヤッと風が触る。
「ちょ、松田サン」
私の側を、松田サンが風と共に通り抜けたのだ。
「お前はそこにいろ!」
信号はまだ赤で、横断歩道に差し迫ったトラック。
向こうの公園から、サッカーボールが転がって来たのと同時に小さな男の子が赤信号に気づきもしないで懸命にそのボールを追っていた。
スローモーションで見えた。
ゆっくりと、ゆっくりと景色が流れた。
松田サンがボールに触ったのを見た瞬間、私の目の前を大きなトラックが過ぎる。
「大丈夫だったか?怪我はないか??」
後ろでに尻餅をついた男の子のそばに、サッカーボール。
駆け寄ったのは、その子の父親なのか若い男性が1人。
映画でよくみるようなシーンに、さぁっと血の気が引く。
後一歩遅ければ、その子は轢かれていた。
松田サンは…?
信号が青に変わる。
「うわぁあんっ」
大泣きするその子を抱えあやしながら、ボールを持ち、その男性はその場を去る。
松田サンが、その子を助けたのに。
松田サンが、いない。
「ボール、取ろうとしたら、かぜがびっゅってふいて、転んじゃったんだっ」
嗚咽混じりの声が聞こえる。
松田サンは、どこ?
松田サンは幽霊で、だから、物理的な事故にはならないはずで。
だから、何事もなく大きなトラックも過ぎていったのに。
どこ、松田さん、
渡りきった先に彼の姿はない。
嫌に胸がなる。
どうしてこんな時に思い出すんだろう。
さっきのセリフ。
《絶対、なにがあっても、泣くなよ。誰にも慰められんじゃねぇぞ》
予言、してたみたいに…。
タイミングよく着信がなる。
「…はい」
『もしもし、僕です』
安室さんの声が聞こえた。
「あの、」