第6章 6th
『あ、…えっと。俺のじゃ嫌だよな。うん、わかってるごもっとも』
慌てて言うけんじは、もうヨレヨレのスーツの格好ではなかったし、着ている服の襟にも真っ赤なリップの跡はない。
肩にある重みは研二の部屋着のカーディガン。
目の端に映るグレーの袖で気がついた。
『触ってもいい?』
絶対嫌だと首を振ってやろうと思ったのに、研二は返事も聞かずに私に頬に触れて、涙を拭う。
骨ばって、ところどころマメになっていて硬くて。
優しくて、大きくて、温かい手のひらとスッと伸びた長い指。
短く揃えられた爪は、私を傷つけることもない。
『いいよって、…言う前から触ってんじゃん』
『ダメだった?』
『…ダメだよ、許してないもん。浮気』
『え、浮気?!俺が?!』
白々しくしらばっくれちゃって。
『最低』
『浮気なんてしてないよ、誓って』
『首元についてたもん!!真っ赤なリップ』
『は…』
『ド派手なやつ!!っていうか、部屋着に着替える前に気づかなかったの、ありえないんだけど。
今更しらばっくれる気?どうせなら、もっとうまく隠しなよ』
『…』
『言い返す言葉もないんだ。…あぁ、そっか。言ってたもんね、言い訳しないって。
わたしあんな派手な色似合わない、あぁ言う色が似合う子が好きなら乗り換えれば?研二なら、あっという間に堕とせるんじゃない?天性のモテ男だし』
ねぇ、なんでそんなに泣きそうな顔するの。
本当に馬鹿。
傷ついてるのは、こっちだって。
『ねぇ、他に言いたいことある?』
『そんなこと言えるなんて、心臓に毛でも生えてるんじゃないの。
まぁ確かに、それくらい度胸がないとやっていけないか、』
"普通の仕事じゃないんだし"
言いかけて、辞めた。
言ってしまったら、多分ダメだ。
最後の理性が私を止めた。
『…言い訳、たしかにしないとは言ったんだけどさ。確かに、帰ってくるのも遅くなっちゃったし、待たせたし、悲しませたのも、事実だし、俺が全面的に悪いけど、少しだけ聞いてくれない?』
『…』
研二の真剣な目が私を捉える。
触れてた手が離れる。
あぁ、やっぱ遅かったかも。
言い切らなくても、あの後の言葉はきっと察しのいい研二ならわかってしまったに違いない。
指が触れていた間は止まっていたのに。