第8章 丁度良い焼き加減だったらどんな味?
涙が出ないのに悲しい。
笑えないのに幸せで。
両手を緩く広げた彼の所に近付いて前に跪くと、タクマさんの手が私の髪ごと頬を挟み、上を向かせた。
伸ばされた親指が私の唇に沿って少しだけ、肩が揺れた。
「……今は隠れてそういうカオすんのな」
「タクマさん」
「あんま綺麗になんな。 気軽に触れんのも気が引ける」
「やだ。 触っ…て」
「……煽んのも上手くなったし」
声にしない程度の笑みを浮かべて、タクマさんが柔らかく私を抱き締める。
せいぜい、衣服の下の彼の温度が感じられるぐらいの力だった。
「ガキん時のオマエのこと。 あれ、忘れようとしても無理だな。 つか、今はもう忘れたくねえ。 丸ごと綾乃なワケだし。 それに……」
彼が言いかけた言葉に目で問いかけると、いつか海で私を見たように眩しそうに目を細めた。
「まあ。 オマエと似たようなこと思ってるから、心配すんな」
タクマさんの背中や腰を移動する私の腕。
彼が私の首や肩に触れる。
今度は逆に、私が彼の瞼や頬に腕を伸ばす。
するとタクマさんが胸の中に私を入れて、どちらともなく、丁寧に丁寧に唇を合わせる。
会うたびに会いたい。
見るほどに見ていたい。
私の唇が震えると、ぎこちなささえ感じるもどかしいキスをまたくれた。
抱き合って、温め合う。
『言葉じゃ足りない』
こないだタクマさんが言っていた。
それから。
『言葉は要らない』
直接肌を重ねるのもあるかもしれない。
でも、本当はそれって、こんな時間のことのような気がする。
時々クーラーの音が響くそのほかは、何も聞こえない。
彼が帰る時間まで私たちはただ静かに抱き合った。