第3章 梅の巻
振り返った乙の前に「小さな手」の主は跪いた。
「……申し遅れました!乙様。わたしはお大尽様から言いつかって参りました、春鶯と申します。」
「お大尽?!あーあ、そう言えばこないだ小間使いを寄越すとか何とか………」
そう言って寝台に脚を投げ出した乙の前に薫り高い茉莉花茶が差し出された。
「お疲れでしょう、乙様。今宵はこちらを召し上がってごゆっくりお休みくださいまし。お部屋は湯浴みをされている時に片付けておきましたゆえ……」
「……お大尽もまた随分と気のつく子を寄越したものだわ。完璧過ぎて怖いくらい!春鶯だっけ?」
「はい、乙様。」
恭しく礼をする小間使いの顎を乙は手にした扇の柄で横柄に持ち上げたね………
「あたしはどっちでもいいんだけど………あんたは女?男?」
春鶯と名乗った小間使いは俯く。
「……女みたいだって言われますが……一応男ですっ!」
「そう、まあ男で良かったかもね。あんたの器量で女だったら領がすぐに客を取らせてあたしの世話どころじゃなくなっちゃうところだった。」
そう言って乙は盆の上の茉莉花茶を飲み干した。
「さっ、あんたも疲れてるでしょ、もうお休みなさいな。」
「では、乙様。失礼いたします。」
「……ちょっと!どこ行くのよ?」
「裏の小屋です。一応男ですので乙様と同じお部屋で休むわけには参りません。」
裏の小屋――――例の「底無し沼」の畔にある、前は物置か何かに使っていた小屋だね。
「あんなところで?!」
「故郷(くに)ではあれより酷い所に住んでおりました。それに比べれば御殿の様です。」
春鶯は微笑むと裏の小屋へと消えて行った。
「乙様、おはようございます!お粥をお持ちしました。」
翌朝から春鶯は誰よりも早く起きて準備して甲斐甲斐しく乙の世話を焼いた。
使えない若い番頭に替って、乙の客の取り計らいもこなす様になってきたね。
頼もしい小間使いを得て、益々盛り上がってゆく乙だがこの世界、どうやっても妬む奴は出てくるものさ。
ほうら、騒ぎ出したのはあの「鈴音」の手下、葛葉たちだよ。
「乙比女姐さんは「泥棒」を雇ってるらしいわね!」
「……何なのよ?いきなり。」
「私が上客からもらった絹の手巾が見当たらないと思ったらあんたんとこの小間使いがくすねていたのよ!!」