第1章 松の巻
―――――翌朝、空が白み出した頃、妓楼の寝台の上でお大尽は目を覚ました。
「おはようございます。お大尽様。」
乙が傍らで微笑んでいる。着物や化粧の乱れは微塵もなく美しい。
お大尽はしばらくポーッと見蕩れていたけど―――――
「いかん、いかん。昨夜のうちに戻るはずが!
今日も大事な商談がある、
すぐに車を呼んでくれ!」
「もう呼んでありますわ、お大尽様。」
「――――案外気が利くじゃないか。」
お大尽はいそいそと襟元を整える。例の「よだれかけ」はいつの間にか外されていたね。
「しかし久し振りに良く眠ったな。
商売を広げると心配事も多くてな………」
「それは良うございました。
―――――車が来た様ですわ。」
「ああ、ではもう行くが……一つだけ訊く。
お前は東の村の出か?」
「いいえ、あたしの故郷(くに)は北の村よ。」
「―――昨夜お前が唄っていたのは儂の母が唄っていた子守唄だ。
だからてっきり同郷かと思ったのだが。」
「あの唄は――――――友達が唄っていたの。」
「………そうか。いかん!もう行かねば。」
慌ただしく車を急き立てて帰って行ったお大尽。
入れ替わりに領殿がやって来たよ。
「あんた、見かけによらずやるねえ〜
初買いで「泊まり」なんて前代未聞だよ。」
領殿は上機嫌で、お大尽が置いていった金子のたんまり入った巾着をじゃらじゃらと見せつける。
ふんっと鼻を鳴らす乙。さすが、当たり前だと言わんばかりだね。
乙たち―――――
一度でも客をとった娘はもう世間では普通の女としては扱ってはもらえないよ。
もう一人前の娼妓だ。
後宮のお妃が着る様な丈も袖も長い着物を着て、こってりと化粧をして頭には長い簪。これは客をとる度に増えていくんだ。――――まだ部屋は相部屋だけどね。
ヒジを突っつき合う様にして支度して、自分を買ってくれるお客をジッと待つ日々が始まった。
大部屋の娼妓はまだまだ「ご指名」は来ない。
もっぱら飛び込みでやって来る客の相手だ。
「今夜は飛び込みが多いねえ〜手間ばかりかかって大して儲からないのに。」
ブツブツ文句を言いながら大部屋にやってくる領殿。
「『松の間』には美月、『竹の間』には朱花が行きな!『梅の間』には………」
今夜も乙の名は呼ばれないね。