第35章 新曲
「野球ボールが波土の卒業祝いだったなんて、流石元カノは詳しいねぇ。その頃から波土がデビューして売れるまで、付き合っていたんだよな?」
「っ…、」
「んで、この美人マネージャーに横恋幕して見事に振られたのがそこの社長さんってわけだ?」
「な、何年も前の話を……」
「別にいいじゃねぇか。
捻れた関係と波土の死、その奥にはどんな歪んだ思いがあるのかねぇ……」
今のこの会話で、この人達にはそれぞれ波土さんを殺す動機が十分にあること、そして共謀して人を殺めるほどの関係性は全くないということが目に見えて分かるな。
「あのさん、この手帳に名前と“ゴメンな”の文字をお願いします」
「え、何で?」
「波土さんの胸ポケットにそう書かれた紙が入ってたんですよ。で、筆跡鑑定をやるためにホール内の皆さんに書いてもらおうかと」
「ふーん、なるほどね。了解」
というわけで、高木くんから手帳とペンを受け取って自分の名前とその横に「ゴメンな」と書いた。
「はい」
「ありがとうございます」
その後もホール内の人を順番に回っている高木くんを眺めながら、私は人差し指と親指を顎にあてて思考を凝らす。
胸ポケットに遺書のような物が発見されたということは他殺以外の可能性、つまり自殺の線も考えられるということだ。だが、遺体があんな高さまで吊ってあってそんな事が有り得るのか?どちらにしてもまずはあの遺体をどうやってあそこまで人力で吊り上げたのか、そのトリックをを突き止める必要があるな。ステージとロープの状況をもう一度確認してーー……
「さん!梓さんの苗字ってなんでしたっけ?」
「ん?えーと、確か榎本だったと思うけ……っ!?」
考えている最中に突然蘭さんに話しかけられたため、答えながら振り向いた。しかし、振り向いた先にいたのは蘭さんではなく梓さん。いや、“梓さんの姿をした誰か”か。
うそ、私、完全に蘭さんだと思って……、
「ふふ。どうもありがとう、さん」
その声は梓さんのものだった。確かに梓さんの声のはずなのに、その声で話しかけられた瞬間に今までにない恐怖が全身に襲ってくる。私は正に、蛇に睨まれた蛙とでも言うように動けなくなってしまった。