第17章 幸せな音が溢れる世界で
杏寿郎さんはそんな私の様子に
「どうかしたか?」
と、首を傾げている。
「…っ…なんでもありません!」
私は慌てて杏寿郎さんから視線を逸らし、鏡の前に移動した。そしてその隣にある、呉服屋の女将さんがお直し用にと置いて行ってくれたお化粧道箱を広げると、その中から紅を取り出し、正面にある鏡の方へと顔を向けた。
小さな可愛い入れ物の蓋を開け、その中にある鮮やかな色をした紅を薬指に乗せる。それから杏寿郎さんとの口づけで落ちてしまった箇所を埋めるように紅を差そうとしたが
じぃぃぃぃぃぃ
っと、鏡越しに私を見ている杏寿郎さんの物凄い視線が気になり
「……見すぎです」
思わずその手を止めてしまった。
「すまない」
杏寿郎さんは口ではそう言ったものの、その視線を外す気配は全く感じられない。
……仕方ないなぁ
内心苦笑いを浮かべた私は、杏寿郎さんの熱い視線に耐えながら紅を直し、指先に残ったそれを綺麗にふき取ると、元の場所へと戻した。
それからクルリと振り返り
「…そろそろ行きましょうか」
と、杏寿郎さんに声を掛けた。
「うむ!」
差し出された杏寿郎さんの左手のひらに自らのそれを重ねると、グッと優しく引き寄せられ、その勢いのまま杏寿郎さんの隣へと移動した。
「準備はいいな?」
私は、穏やかな瞳をしながら私を見下ろす杏寿郎さんを見上げ
「……はい」
緊張で騒ぎ始める胸を鎮めながらそう答えた。
大広間へと続く廊下を進み、あと10歩ほどでたどり着く辺りまで来ると
”ぬぁっはっはっはっ!”
”あぁぁあ!お前それ俺の天ぷらだぞ!?返せ!”
”お前ェら!もっと派手に飲め!”
”うるせェ!こっちに来るんじゃねェよ!”
等と、楽し気な声が襖の向こうから聞こえてきた。
……何だかみんな楽しそう
騒がしい声を聞いていると、自然と緊張が解れ、肩に入っていた力が徐々に抜けて行く。