第17章 幸せな音が溢れる世界で
すると杏寿郎さんは、はっと我に返ったような反応を見せた後、無言のまま私の方へと近づいて来た。
そらから私の目の前でピタリと立ち止まると、私の左頬に、大きな右手をそっと添え
「……綺麗だ。息をするのを忘れてしまうほどに」
杏寿郎さんらしからぬ、静かに、呟くような口調でそう言った。
「…っ!」
杏寿郎さんの普段とは異なる口調もさることながら、私を真っ直ぐと見つめるその視線が、杏寿郎さんが心からそう思ってくれている事が伝わって来て
「…あ…あの…ありがとう…ございます…きょ…杏寿郎さんも…その…す…すごく…素敵…です」
私は褒められた恥ずかしさと、普段とは異なる杏寿郎さんの雰囲気に、言葉を詰まらせながらそう言うのが精一杯だった。
すると
「あらまぁ。奥様も旦那様も、お互いのことを心から好いてらっしゃるんですねぇ。お見合いで縁が結ばれる事が多いこの時代、お二人のように心から愛し合って夫婦となれることは、とても幸せな事でございますよ。いつまでもその気持ちを忘れずに、お幸せにお過ごしくださいな」
呉服屋の女将さんは、てきぱきと帰り支度をしながらも、私と杏寿郎さんにそんな言葉を投げかけてくれた。
すると杏寿郎さんは
「もちろんだとも!俺は鈴音と共にいられれば、どんな些細なことでも幸せだと感じられる自信がある!故になんの心配もいらない!」
私の両肩に手を置き、女将さんに向けてではなく、私に向けそう言って来た。そんな私と杏寿郎さんの様子に
「おほほほはほ。ご馳走様ですございます。それでは私は輝利哉様にご挨拶をして参りますので、この辺でお暇させていただきます」
女将さんは、酷く楽しそうに笑いながらそう言うと、持って来た荷物を全てその手に持ち、サササと襖の方へと足を進めた。
そして出入り口部分で一度立ち止まり、私と杏寿郎さんの方にクルリと振り返ってくると
「輝哉様とあまね様から頼まれた最後のご注文の品を着てくれるのが、こんなにも素敵なお二人であることが、私はとても幸せでございます。どうぞ末長くお幸せにお過ごし下さいませ」
見惚れてしまうほどに綺麗な所作で頭を下げながらそう言った。