第15章 強くなりたいと願うなら、前を向いて進め
「……っ…!」
まだお昼前だというのにそんな風に言われてしまい、一瞬答えに悩んだ。けれども
「……いい…です…よ?」
求められる嬉しさの方が勝ってしまい、自然とそう答えていた。私の答えを聞いた杏寿郎さんは、私を拘束するように抱きしめていた腕をパッと解き、空いた手のひらを私の頬へと持ってきた。
薄く開けたままの私の目には、同じく隻眼を薄く開いた杏寿郎さんの瞳が映り込む。
互いの距離がほとんどなくなり、唇が触れ合いそうになったその時
”ごめん下さい!煉獄様はご在宅でしょうか!?”
玄関の方から男性の声が聞こえ、杏寿郎さんの動きがピタリと止まった。
「…来客の予定などなかったはずだが」
不満な表情を全く隠さない杏寿郎さんの様子に、私は思わず苦笑いしてしまう。
「予定がないのに来たっていうことは、何か急用かもしれませんよ?ほら、早く行ってあげてください」
そんな私の言葉に、杏寿郎さんは”むぅ”と不満そうに唸ると、私の頬を覆っていた手をゆっくり離した。
「しばし待っていてくれ」
そして杏寿郎さんは、”今行く!”と玄関まで聞こえるような声量で言った後、急足で部屋を出て行ってしまった。
結局その後、杏寿郎さんは再び外出することになってしまい、久しぶりに2人でゆっくりと過ごすことは出来なかった。
"父上と親戚の家に行かなければならなくなってしまい、戻るのは夜遅くになる"
と、杏寿郎さんに言われてしまったので、私は夕方まで炎柱邸でひとりのんびりと過ごさせてもらい、夜は1人で稽古をして時間を過ごした。
杏寿郎さんのいない炎柱邸は、まるで砂糖を入れ忘れたみたらし餡のような物足りなさだった。
夜遅くなると言っていた杏寿郎さんは、最終的に帰って来れず
"すまない。明日、合同稽古で会おう"
と書かれた文だけが私の元に届いた。
それ以降、稽古で杏寿郎さんと顔を合わせることはあっても、昨日のように、恋人同士として触れ合える時間が取れない日々が続くことになってしまうのだった。