第13章 幸せすぎる無理難題と悲しすぎる別れの口火
視界と聴覚を遮断された状態で杏寿郎さんに横抱きにされながら移動するのは
……っ怖い…!
想像以上に恐ろしいものだった。
もちろん杏寿郎さんは、なるべく私の身体に負担がないよう移動してくれているとは思う。それでもどんな動きをするか全く予想がつかない状態で上下に、そして左右に揺らされる状況は、誰であれ少なからず恐怖を感じるだろう。
少しでも心を落ち着かせようと杏寿郎さんの胸部あたりをぎゅっと握りしめていると、杏寿郎さんの走る速さがだんだんと緩んでいき、そのうちピタリと立ち止まった。
そのまま杏寿郎さんは一旦私を地面に下ろすと、私の右側の耳栓を取り去り
「大事ないか?」
そう尋ねてきた。
「……っはい…!」
その声色は明らかな私のことを心配しているそれで、急いでいるのに足を止めさせてしまった罪悪感と、怖がっていた事を気づかれてしまった羞恥心で、私は言葉を詰まらせた。
「あまりそうは聞こえないな。首に腕を回した方がいいと言っただろう?今からでもそうするといい」
「…で…でも…」
"俺の首に腕を回すといい"
そう言ってくれた杏寿郎さんの提案を、私は丁重にお断りしていた。
いくら人の目に触れないよう移動するとは言え、明るい日中に、まだ上手に甘えることすらできない恋人に横抱きにされるなど、私には耐えられないと思った。
けれども、そんな気持ちを凌駕してしまいそうなほど、視界と聴覚を奪われての移動は怖いものだった。普段研ぎ澄ませるようにしている部分を遮断され、他の感覚が過敏になっていることも原因のひとつだろう。
「でもじゃない。間違って舌でも噛んでしまえば、お館様の前できちんと話ができないかもしれないだろう?」
「……」
杏寿郎さんの言っていることがもっとも過ぎて、私は何の言葉も返すことができなかった。
今回のお館さまのお屋敷への訪問は任務の一環のようなものだ。なのに私は自分の感情を優先し、最も適切な対処を取ることを選ぶことが出来ず、杏寿郎さんの手をこうして煩わせている。