第11章 さよなら、ごめんなさい、そしてただいま※
しばらく待っていると
ギッギッギッ
階段を登ってくる音が聴こえて来た。その足音はどんどんこの部屋に近づいてきて、襖の前で止まると
「すまないが扉を開けてもらえるだろうか」
杏寿郎さんの声が襖の向こうから聞こえて来た。慌てて立ち上がり、杏寿郎さんに言われた通り襖を開けた。するとそこにいたのは
「…え…?」
お蕎麦とかき揚げ、そして私の頼んだ山菜蕎麦がのったお盆を持った杏寿郎さんだった。
私はあまりにも予想外の光景にポカンとしてしまった。一方杏寿郎さんは、私のそんな様子に気がついていないのか、はたまた気がついてはいるもののどうでもいいのか…どちらかはわからないが、私の横をスルリと通り抜け
ガチャン
ちゃぶ台の上にお盆を置いた。そして自分の前に腕から湯気が上がっている蕎麦とかき揚げを置き、その向かい側に山菜蕎麦を置いた。
「さぁ。伸びてしまわないうちに食べるといい」
こともなげにそう言った杏寿郎さんは、"いただきます"と手を合わせ、さっさと蕎麦を啜り始めた。状況についていけない私は
…なんで…杏寿郎さんが蕎麦を…?
そんなことを考えながら、相変わらず丁寧な所作で蕎麦を啜っていく杏寿郎さんをぼんやりとながめていた。
すると
「どうした?食べないのか?」
私の視線が気になったのか、杏寿郎さんの左目がチラリと私の方へと向けられた。
「…食べます…」
はっきり言って蕎麦を食べるような気分ではない。というか、こんな状況でおいしく蕎麦を食べろと言う方が無理な話だ。
無駄に大回りをしながら杏寿郎さんの向かい、山菜蕎麦の前に腰掛けた。すると
…いい匂い…
人間の身体とはよく出来ているもので、蕎麦を食べる気分じゃないと思ったいたのにも関わらず、蕎麦つゆのいい香りが鼻を通り抜けると、自然と食欲が湧いて来てしまった。
「…いただきます…」
私も大概…図太い神経してるな
そんなことを考えながら啜ったお蕎麦は、やはりその香りの通りとても美味しいと感じてしまい、なんとも複雑な気分だった。