第11章 さよなら、ごめんなさい、そしてただいま※
片付けを終えてしまったものの、杏寿郎さんの方へと一歩を踏み出せずにいた私の背中を
''ゆっくり話してきな"
しずこさんに優しく押され、重い足をなんとか動かし前を歩く杏寿郎さんの背中を追った。先程までしずこさんと楽しげに談笑していた杏寿郎さんは、私と2人になるとすっかりその口を閉じてしまい、私と杏寿郎さんの間には何の会話もなかった。
杏寿郎さんは無言のまま何処か目指し、速足がちに歩いていく。
「……あの…どこに…向かっているんです?」
「2人きりで話ができる場所だ」
無視されるかなと思いはしたものの、杏寿郎さんはきちんと私の問いに答えてくれ、そんな様子にほんの少し安心感を覚えた。けれども
こっちの方にある2人きりでゆっくり話せる場所って…
今歩いている道は数回しか歩いたことがなかったが、この先に"あるお店"がある事はよく覚えている。
……この先にあるのは…
私は頭に浮かんだそのお店が、杏寿郎さんがいう"2人きりで話ができる場所"でないことを祈るしかなかった。
けれども
「ここだ」
「……」
…っ…やっぱり
杏寿郎さんが立ち止まったのは、私がそこじゃないといいと願っていた場所…"蕎麦屋"の前だった。
「…拒否権は「あると思うか?」…っ」
杏寿郎さんは私の言葉を遮るようにそう言った。
…そう…だよね…
そう言われるとは思っていた。けれどもここに入ってしまったら、もう逃げ場はない。
…杏寿郎さん…きっと、わざと私がしたのと同じことをしてるんだ…
私の左斜め前に立ち、蕎麦屋の扉に正面を向けている杏寿郎さんが、僅かに顔を私の方に向けた。そして隻眼をスッと細めながら
"早くしろ"
と言わんばかりの視線を寄越してくる。杏寿郎さんはあくまで私の意思でこの店に入らせようとしているのか、自身は腕を組んだまま蕎麦屋の扉に手をかける気配は見られない。
どうしたら…いいの?
ギュッと着物の合わせ目辺りを強く握りしめながら固まっていると、視界の端に、小豆屋のおばさんがこちらに向かってくる姿が映り込んできた。男性と、こんな場所の前で突っ立っているなんて、そんな姿を見られるのは恥ずかしくて耐えらい。
「…っ入り…ましょう」
私は意を決してその扉へと腕を伸ばした。