第2章 脱兎の如く
自分で決めた今日の分の稽古を終え、私はこの山に来るときには必ず立ち寄る小川へと向かった。
ここは…すごく心が安らぐ音で溢れてる。
水の流れる音。木々のせせらぎ。鳥や動物の鳴き声。任務続きで荒んでしまった心が、整っていくようなそんな気になる。
それに私にはこの後、今日の最大の楽しみも待っている。
濡らした手拭いで顔や身体を清めた後、持ってきていた普段着用の着物に着替え簡単に髪を結い直す。お金入った巾着をウキウキとした気持ちで覗き込み
「ふふ…今日もきっと幸せな音が聴けるんだろうなぁ」
汗のかかない、尚且つ着物も崩れない程度の速度で私は山を駆け降りた。
はやる気持ちと、ぐぅぅぅと音を立てる自分のお腹の音を聴きながら目的の場所へと足を進める。目的地に到着し、ガラガラと音を立てながら店の扉を開くと
「いらっしゃーい」
と大将ののんびりと間伸びした声で迎えられる。
私はいつもの場所、店主が目の前で天ぷらを揚げてくれる横長席へと腰かけた。
「相変わらずこの席かい?」
そうニコニコと人のいい笑みを浮かべ私に話しかけてきたのはこの店の店主。
「こんにちは。当り前じゃないですか!だってここは、天ぷらの衣が油であがる、いい音が聴ける特等席ですよ?」
私がそう答えると
「相変わらず変わった娘さんだねぇ」
と大将の隣にいた女将さんも笑う。
「で、いつものでいいかい?」
「はい!お願いします」
「はいよ。じゃあ少し待っててくれな」
そういうと店主は、私との会話を切り上げ、一旦奥へとさがって行った。
私がこのお店に来る目的は2つ。1つはもちろん。美味しい天丼でお腹を満たすこと。そしてもう一つは、天ぷらの衣がじゅわっと音を立てながら油の中に落とされ、サクサクに揚げられていく音を聴くこと。そのたまらなく素敵な音が、私の胸を毎回躍らせる。
大将の手により、衣を纏わされた海老が
じゅわっ
といい音を立て、油の海へと泳がされた。
いい音…幸せ。
そう思いながら目をつぶり、他のお店とは一味違う音に耳を澄ませた。