第1章 始まりの雷鳴
結局その後獪岳は、"最終選別を突破した"と文1通を寄こしたのみで、本当にここに戻ってくることはなかった。あの獪岳という男は、いったい何がそんなに不満だったのか。私には一生わかりそうにないし、わかりたくもない。そう思った。
ただ一つ、鴉から受け取った手紙を読んだときの、じいちゃんの嬉しそうで、それでいて悲しそうな顔が私は忘れられない。
それから数か月後。若干の怪我は負ったものの、最終選別を無事突破した私は大好きなじいちゃんと、かわいい弟弟子の待つ家に無事戻って来ることができた。
善逸は私の姿を確認するなり、顔中の穴という穴から水分を垂れ流しながら私に駆け寄って来た。
え?やだ。ちょっと避けたいかも。
そんな考えが頭をよぎり、思わず足が止まりそうになる。けれども、
「ただいま。善逸」
かわいい弟弟子の為に、今回だけは、私の胸元が涙、鼻水、そしてよだれまみれになるのを許してあげることにした。
「うわぁぁぁ!よかった!よかったよぉぉぉお!お帰り!お帰り姉ちゃぁぁぁん!」
耳に響く善逸の汚らしい高音の叫び声に、思わず耳を塞ぎたくなる。けれども残念ながら、私は今、両腕ごと善逸に抱き付かれている状態なので、耳を塞ぐことは出来ない。汚い鼻水に、うるさい声。はっきり言って不快である。
「ねぇ待ってよ。何なのその目。酷くない?酷すぎない?俺凄い心配してたんだから」
「ごめんごめん。でもさ、私がそういう声、苦手なの知ってるでしょ?それに涙は許せても…」
びしゃびしゃになっている自分の胸元を改めて確認し、
「やっぱり鼻水とよだれは嫌かな」
やんわりと自分の身体から善逸の身体を引きはがした。びろーんと伸びる善逸の鼻水に、私の眉間に深いしわが刻まれる。
「酷い!酷すぎる!何その顔!じいちゃーん!姉ちゃんが俺に意地悪するぅ!」
私には、善逸越しにずっとこちらを見て微笑んでいるじいちゃんの顔が見えていた。
「ただいま、じいちゃん」
その顔を見ると、改めてここに居られて、帰ってこれて良かったと心から思えた。
「お帰り。よくやった…鈴音」
その夜はとても豪華なご馳走をじいちゃんと善逸が準備してくれ、久しぶりに安心できる自分の布団で、夢も見ないほどぐっすりと眠りにつけたのだった。