第1章 始まりの雷鳴
別に死んでもいいと思った。
「うまそうな若い女がいやがるなぁ。どこからむしゃぶりついてやろうか悩むぜ」
そう口からだらだらと血をこぼしながら言う見たこともない化け物を前に、恐怖がないわけではなかったが、”死にたくない”とは何故か少しも思わなかった。
別に私が死のうが生きようがもう誰にも関係ない。悲しんでくれる人なんて一人もいないもの。
私を必要としてくれていた唯一の人、女将さんの死体の残骸らしきものをぼーっと見つめながらそんなことを考えていた。
「こんな状況で表情を少しも動かさないたぁ…変な女だな。でも俺は泣き叫ぶ声は好きじゃなくてなぁ。都合がいいってもんよ」
そう言ってゆっくりと舌なめずりをしながら私に近づく化け物を目の前に恐怖心を抱くことのできない私は、やはりどこかおかしくなってしまったに違いない。
「俺はお前が気に入った。特別に痛くないよう一気にその心臓を貫いてやろう」
「…ありがとう」
果たしてお礼をいうことが正しい行為なのかは分かりかねたが、自然とその言葉が口からこぼれ出ていた。
化け物は私の前にゆっくりと歩いてくると、その鋭利な爪を長く伸ばし、私の心臓があるところにピタリとあてる。そしてニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべ
「あばよ」
と、静かに言った。
さよなら。私の寂しい人生。もし生まれ変われるなら…次はもっと、誰かに必要とされる人間になりたい。
そう思いながらゆっくりと目を瞑り、まもなく訪れる死に身を委ねようとしたその時、
ドカーンッ
耳を塞ぎたくなるような雷鳴が辺りに突然響き渡り、何も感じていなかったはずの私の感情が、驚きで大きく波打つ。
雷なんて鳴っていなかったのに…突然どうして?
不思議に思い目を開くと
「…え?」
私の心臓をその爪で貫いてくれるはずだった化け物の顔がそこにはなく
ゴトリ
音がした方に目線を向けると、そこにはつい先ほどまで私に喋りかけていた化け物の顔が落ちていた。その化け物も、自分の身に何が起こったのか未だ理解できていないようで、目を見開き固まっている。