第5章 名前の知らない感情は
…代々続く…名家の嫡男だものね。
それが、自分と炎柱様との立場の違いを物語っているようだった。そして、その”自分と炎柱様の立場の違い”を気にしているという事実が、私の心をどうしようもなく揺さぶった。
音柱邸に帰り着き、いつものように母屋の玄関で帰宅の挨拶をしようと玄関に手を掛けたが
…誰も、いないのかな?
珍しく、玄関の扉は固く閉ざされており、私はくるりと方向転換し一人寂しく離れへと向かった。
入り口で草履を脱ぎ、荷物を座卓の上に放り投げるように置く。そしてその辺にあった座布団を引き寄せ、頭をそこに乗せゴロリと寝っ転がった。視界に映り込んだのは、少し日差しに焼けた畳と、座卓の脚が4本。
誰もいないし、もう一度…寝ちゃおうかな。
そんなことを考えていると、先ほど河原で居眠りしてしまったことを思い出し、自然と炎柱様のことも思い出された。左手を隊服のズボンのポケットに突っ込み、先ほど炎柱様が私のお腹に掛けて行ってくれた風呂敷を取り出す。
仰向けになり、腕を伸ばしながらそれを綺麗に広げ、何を思ったか、それを自分のお腹に掛けてみた。
「……っ…」
私は一体…何をやっているんだ。
これが手元にある限り、どんなに考えないように努力しても、どうしても炎柱様の事を考えてしまう気がした。
洗って…さっさと和にでも持って行って貰わなきゃ。
徐に立ち上がり、部屋の端に位置している収納棚へと向かう。洗濯石鹸が入っている引き出しに手を掛け、2色ある石鹸のうち、仄かに色のある甘くて爽やかな香りの方に手を掛けた。
…お気に入りの石鹸…なにもこれを使う必要はないし。これは…特別な時にしか使わないって決めてるんだから。
そう思いなおし、無色の、ただの石鹸の方へと手を伸ばした。そのままそれを取り、引き出しを閉め、扉の方へと歩き出した。
「…っ…」
けれども再び収納棚に向かい
別に…私が使いたい気分なだけだもん。特別な意味なんて…ないんだから。
結局私は自分の行動に言い訳をしながら、お気に入りの石鹸の方へと手を伸ばしたのだった。
それから井戸に向かい、盥に水を汲み、洗濯板は使わず丁寧に石鹸で手洗いした。
そう。何も考えず、洗ってしまったのだ。