第5章 名前の知らない感情は
けれども、いつまでもこうしてのんびりしている場合ではない。今この時も、行方不明になっている人たちが、鬼にその命を奪われているかもしれない。
ふぅ
と気持ちを切り替えるように一度息を吐き、
「それでは炎柱様。お願いします」
私がそう言うと
「うむ。ではいくぞ」
そう言ってスゥっと肺に空気をためるように大きく息を吸った後、そのまま吐き出さず、ぴたりと呼吸を止めた。
炎柱様の呼吸音が止まったのを確認し、私はすぐさま穴の傍にしゃがむと、髪の毛や耳に土が着くのも気にせずに右耳をその穴にくっ付けた。
炎柱様にお願いしたように自らも息を止め、左耳を左手で塞ぎ、穴の中から聞こえるかすかな音にだけ全神経を収集させる。
…だめだ…空気の音しか…聞こえない。もっと…もっと集中しなきゃ。この穴に。この穴の先だけに…っ!
いつもは自分を中心として円を描くように音を聴いているのを、一本の細く長い線にするようにイメージに変えていく。
もっと…もっと奥へ…穴の向こうにあるどこかへ…!
そうしていると、段々と穴の奥から空気が流れる音以外のものが聴こえ始めてくる。
…この音は…水の…音?…でも…川とか…湖とか…そういう水の音とは…違う……どこかで…
その時、穴の向こうから聴こえてくる音と、記憶にある音がピッタリと合致した。
パッと顔を上げ、炎柱様の方を向き
「…水車です…水車の音がします」
私はそう炎柱様に伝えた。炎柱様は私のその言葉に
「水車の音?確かこの街に水車はなかったはずだが…」
そう言って腕を組みながら微かに首を傾げる。
「…確かに…歩いていても、水車の音はしませんでした。っでも…間違いありません!どこかに水車があるはずなんです!街の人に、この辺りで水車がある場所がないか聞き込みをさせて下さい!」
そこまで強くない私の唯一の強みであるともいえるこの”聴く耳”が、間違っていないと信じたかった。