第5章 名前の知らない感情は
「そこにね、私達が潜入する必要性が出てきたの」
「…っ…!」
ニコリと微笑みながらそう言う雛鶴さんの顔には
"そんなことはどうって事ない"
と書いてあり、そんな顔を見せられて、私が何か言えるはずもなかった。
「客として俺が行っても、ほとんど情報が得られなくてな。不本意ではあるがこのままだと、こいつらに協力してもらう事になる」
「…そう…ですか…」
本当は
嫌です。
絶対にだめ。
行かないでください。
そう言いたかった。
けれども、ただの同居人に過ぎない私が、そんなことを言うべきではないことも、言う資格なんて持ち合わせていないことも充分過ぎるほどに理解していた。私はグッと唇を噛み締め、ぽろりと口から出てきてしまいそうになる言葉達を、心の奥底にグッと沈めた。
「だからね、その時が来るまでに、鈴音に、もう少しだけ私達を安心させて欲しいなって、そう思ってるの」
雛鶴さんは眉を下げ、いつも以上に私に向け優しい笑みを浮かべてくれた。
「…はい…」
そんな雛鶴さんに、私が返せたのは、力のないその返事だけだった。
「もう!まだ決まったわけじゃないのよ?今からそんな顔されちゃったら、私もそうだけど、まきをと須磨はもっと心配するわよ?」
その言葉に、ピクリと思わず反応してしまう。
「確かに、雛鶴の言う通りだ。須磨に限っては、お前を1人にするのは心配だから行かねぇとか言い出しかねねぇ」
「…それは……困りますねぇ」
「おいコラ喜んでんじゃねぇよ」
しまった。態度に出てしまった。
「…喜んでなんか…いません…」
嘘だ。雛鶴さんだけでなく、まきをさんも、須磨さんも私のことを心配してくれるだろうなんて聞いたら、嬉しくないはずがない。
「いや、まじで面倒臭ぇ事になるからよ。勘弁しろよ?頼んだからな?」
じとりと目を細め、私を睨むようにそう言う天元さんに
「……分かってます……今度は」
すっかり冷め切ってしまった湯呑みを両手でギュッと握りしめながら、私はそう答えたのだった。