第5章 名前の知らない感情は
目を丸くしながら天元さんを見ていると、
「天元様。年頃の女性に向かってイモ女なんて言ってはダメですよ?」
そう言いながら、食事の下拵えを終えた雛鶴さんが台所から居間の方にやって来た。そして私の横に静かに座ると
「鈴音はイモではなくて、人馴れしてない野良猫みたいな子です。最近は、かなりうちの子になってきましたけどね」
そう言って、まるで猫にそうするかのように私の頭を優しく撫でてくれた。
「雛鶴さぁん」
私はそう言って、飼い主に甘える猫の如く雛鶴さんに擦り寄る。
「…その素直さを、もうちっと違うところに持っていけや」
そんな必要ないもんね
そんなことを心の中で思っていた私だが、
「そうねぇ…私たちも、今までのようにここにいられなくなっちゃうかもしれないし、そろそろ安心させて欲しい気持ちがあるわね」
「…っ!」
雛鶴さんの口から出てきたその衝撃的とも言える言葉に、パッと雛鶴さんの顔を見上げた。
「…いられなくなるって…どう言うことなんですか?」
私のその問いに、雛鶴さんは真っ直ぐと私の目を見つめ、まるで優しく言い聞かせるかのように、いつもよりも更に穏やかな声色で話し始めた。
「最近、天元様がよく遊郭に調査に行ってるでしょう?」
「…はい」
"遊郭"
そこは、男の欲望溢れる、私にとって最も苦手と思える部類の場所だ。
天元さんが最近、調査のためにそこに頻繁に出入りしていることは知っていた。初めて天元さんが遊郭の調査から戻ってきた場面に遭遇した時は、普段とは違うむせ返りそうな甘い匂いを纏った天元さんが嫌で仕方がなかった。それは嫌悪感にも近い感情とも言えた。
けれどもそれが、遊郭に潜む鬼を探し出すためだと言うことも、その妻である雛鶴さん、まきをさん、須磨さんが天元さんが遊郭で一晩過ごすことについて了承していることも、充分過ぎるほど理解していた。そもそも私が、その件についてどうこう言う資格はない。
任務のため。ひいてはそれが、そうすることが雛鶴さんまきをさん須磨さん達のためなんだもん。必要な"調査"に過ぎないんだから。
何度も自分にそう言い聞かせ、ようやく納得したのがつい最近の話なのに。