第31章 耳掃除をしよう(春日山勢)
「どうぞ」
女中「失礼いたします。姫様がお持ちになった花菖蒲ですが、水切りをしたところ元気になりましたのでお持ちしました」
「ありがとうございます!萎れていたからもうダメかと思っていたんです。
お仕事を増やしてごめんなさい」
女中さんは恐縮した様子で頭を下げた。
突然現れた私は謙信様の気に入りの姫ということで女中さん達の対応ははれ物に触るようだ。
花瓶に綺麗に飾られていた花菖蒲は、濃紫の花を咲かせて細長いシャープな葉はシャキッとしている。
手土産がわりに持ってきた花菖蒲は時間が経つごとに萎れ、お城に到着した頃には花も茎もクタクタになっていたから、生き返った様子にホッとした。
「手土産にと持参したものだったのですが渡す機会を逃してしまいました。
どこかに飾ってもらえますか?」
女中さんは大勢の人に目にしてもらえるように、宴が開かれる大広間に飾りましょうと言ってくれた。
「宴の彩りになるなら嬉しいです。よろしくお願いします」
無駄にならなくて良かったと喜んでいると、静かな声がかかった。
??「邪魔をするぞ」
(あ……この人は……)
女中さんと入れ替わるように訪ねてきたのは、花菖蒲の紫よりも色薄い廉潔な雰囲気の兼続さんだった。
(この方とは挨拶以外は口をきいたことがないんだよね)
私と謙信様が言葉を交わす様子を見守り、言葉を発するとしても暇(いとま)の時を謙信様に告げるくらいだ。
謙信様の前では控えめな態度を崩さないけれど、決して存在感がないわけではなく、そこはかとなく知性と潔癖さを漂わせていた。
謙信様が死んだふりをしていた間は執政を行っていたと聞いていて、とても優秀な方だという認識以外はこの人のことを知らない。
「兼続様、お久しぶりです。
突然お邪魔して申し訳ありません」
冷ややかな紫の目に私が映りこんだ。
謙信様のような絶対零度の冷たさはないものの、人を見極めるような真っすぐな視線に勝手に背筋が伸びる。
学校の厳しい先生とか風紀委員長を相手にしているみたいで緊張した。