第31章 耳掃除をしよう(春日山勢)
「あの謙信様……?」
謙信「ああ、耳掃除ならば横を向いた方が良いのか」
(そこはわかっているのね…)
謙信「髪が乱れているな…。湯浴みはまだしていないのか?」
「ええ。こんな時間でしょう?湯殿の支度が整っていないので簡単に拭いただけです。
いつも安土城下で謙信様や佐助君と会っていたので気づきませんでしたが、実際訪れてみると越後は遠いですね」
謙信「夜を徹して来るとは存外丈夫のようだな。よくぞ来た」
「フフ、半ば強制的な徹夜でしたけどね」
会うたびに機嫌が悪そうだった謙信様に労われると調子が狂う。
謙信様は大きく息を吐いて身体を弛緩させた。
謙信「俺の城に舞が居ると思うと気分がいい」
「いきなり来てしまったので迷惑では?」
謙信「舞ならいつでも歓迎する。このまま住まいをここに移すか?」
(引っ越してこいってこと?私、そんなに謙信様に気に入られていたのかな)
過去のあの塩対応が気に入ってのことだとしたら、とてもわかりにくい愛情表現だ。
「…ま、またまたご冗談を!さっ、耳掃除しましょう!」
(偉い人の気まぐれだよね、きっと)
謙信様はこちらに背をむけ、まずは右耳からだ。
「では右耳を失礼します。痛かったら言ってください。
あと動くと危ないのでジッとしてくださいね」
謙信「ああ」
そっと耳かきを謙信様の耳穴に差し入れる。
(粗相をしたら斬り殺されるかもしれないよね…)
安土の武将には持たなかったピリピリとした緊張感が手を震えさせた。
(間違っても刺しちゃいけない……)
佐助君に冗談で言ったことが現実になりそうで怖い。
それでも安土城で積み重ねた経験のおかげで、いざとなると手の震えはぴたりと止んだ。
カリカリ……
謙信「ん……」
「………」
(謙信様の呻き声……っ)
カリカリ……
謙信「ふっ…」
「………」
(笑ったの?それとも吐息?)
安土の武将なら気軽に聞けるけど、謙信様となると出来ないからもどかしい。
左耳をやる時に顔を見られるからいいやと黙々と耳掃除をしていく。