第1章 日ノ本一の…(上杉謙信)(R-18)
「っ……」
女中は既に畳に手をついて頭を下げている。
私もそれにならい頭を下げた。思わず三つ指をつきそうになって慌ててしまった。
(いけない、私は男なんだから…)
普段はがさつだなんだと父に言われていても、咄嗟の時には姫として育った癖が出そうになる。
(気をつけなければ…特にこの方の前では…)
きっとこの対面が終われば、兄が迎えにくるまで顔を合わすことはないだろう。
(この場さえ乗り切ればなんとかなる…)
謙信「見ない顔だ…」
低い声は小さいのに、不思議なことに耳にジワリと響いた。
(謙信様の声って、こんな声なんだ………)
感激している暇はないというのに、憧れの存在の声に胸が熱くなった。
兼続「謙信様、この者が先ほどお伝えした尚文です」
謙信「ああ、兄が剣術の稽古中に骨を折ったから、弟を寄こしたと言ったか。
頭を上げて顔を見せろ」
「尚善の弟、尚文と申します」
温度のない声に従い、ゆっくりと頭を上げた。
(目線……合わせて良いんだっけ…)
緊張しすぎて常識さえ吹っ飛んでしまった。
指先から体温が失せ、手のひらにはじっとりと汗がにじみ、喉から出てきそうな心臓を無理やりひっこめて視線をあげた。
家臣1「これはなんと……美しい」
家臣2「まるで女子のような美童だ」
家臣達の感想が聞こえてきて戦々恐々となる。この瞬間だけは『女子のような』だなんて言わないで欲しい。
咎めるように家臣の方に視線を向けると、家臣達はまだ何か言いたげにして押し黙った。
真正面から謙信様と向き合い、息をのんだ。
(美しいだなんて……それはこの方のことだ…)
軍神と呼ばれるくらいだから、荒々しい殿方だと思っていた。
けれど恐ろしいほどに整ったお顔立ちに、二色の静謐(せいひつ)な瞳は知的さを滲ませている。褪せた髪色は珍しく、私は初めて目にした。
(とても同じ人間とは思えない……)
顔に出さずに感嘆する。
二色の視線を黙って受けとめていると、謙信様はうっすらと氷のように冷たい笑みを浮かべた。
(なんて冷たい笑み…)
整った顔立ちに浮かぶ冷笑に慄いた。