第34章 呪いの器(三成君)
椿「そうは言っても昔のことはあまり存じませぬ。
千代姫の乳母にお聞きになったらいかがでしょうか」
側室の頃は正妻をたてて別の丸で過ごしていたので幼い頃の千代姫を知らないのは事実だった。
三成に些細なことでも1つくらいないか?と聞かれて椿は悩んだ。
千代姫を追い出すために心を傾けていたから、それ以外の思い出話しなど椿は持ち合わせていなかった。
椿「特にございませぬ」
三成は笑みを崩さないまま、そうですかと肩を落とした。
その様子を見ていると、椿は娘の夕夏を自慢したくてたまらなかった。
(名を馳せる安土の武将の中では目立っていないが、この男は将来有望そうね。やっぱり夕夏の夫に欲しいわ)
真っ赤な紅を塗った唇が歪(いびつ)に吊り上がった。
椿「千代姫のことは存じませんが夕夏のことならなんでも。
千代姫は頭の回りが遅く融通のきかないところがありますが、夕夏は本当に愛らしく笑う素直な子です」
悪意のある言葉を気にせず、三成はニコニコしている。
三成「千代姫は私の前では受け答えもしっかりして、柔軟な考えをお持ちのようでしたが違うのですか?
しかし融通が利かないというのは時には周りに振り回されない長所にもなります。
私は本当に良い縁に巡り合いました」
千代姫の短所を述べたのに、それを長所だと言われて揚げ句夕夏姫のことは話題にさえのぼらない。
椿は腹立たしかったがこの石田三成という男は夕夏の夫に申し分ない。そう思い千代姫の悪口を散々述べて、夕夏がいかに素晴らしい女性なのか説いたのだが、何故か笑顔の三成に軽く流されてしまう。
(この男、どんな悪口もいいようにしかとらないわ。
にぶいにもほどがある!)
椿は石田三成がどういう武将なのか知らなかった。女の尻ばかり追いかけて、ニコニコしている無害そうな優男。だから丸め込むのも簡単、そう思ったのだ。
織田軍の参謀で頭脳がずば抜けて明晰なことも、そして時折ひどく察しが悪いことも知らなかった。
有名な話しなのだが、椿は城から出ない世間知らず。
相手を知らずして下手をうってしまったのだ。