第32章 私と恋愛する気ありますか?(謙信様)
「その馬油、よかったら私に使ってくださいって。
使ってもらえたら嬉しいって言っていたんです。
大事に使います…あ、良かったら半分こしましょうか?」
謙信「いや、いい…。伊勢がお前に贈ったものだ。使ってやれ」
「でも懐かしい香りなんじゃないですか?
1回だけでも使ってみては?」
全部貰ってしまうのが申し訳ないと提案したら、背後から手が回って陶器の器が戻ってきた。
謙信「伊勢はいつもこの髪油を使っていて、作り方を知っているのは伊勢と伊勢の女中だけだった。
その女中も伊勢と共に自決し、この髪油はこの世にもう無いと思っていた。
いや…俺が命じれば再現は容易だったろうが使う人間が居ないのでは意味がないと手をつけなかった」
亡くなった恋人の香りなんて傷を余計に抉るだけだ。謙信様の心情を思うと胸が痛かった。
謙信「俺に塗ってくれ」
「え、私がですか?」
謙信「ああ。女物の髪油など手にしたこともない。
どれくらいの量をつければ良いかわからん」
それもそうかと指で適量をすくい、オイル状になるまで手の平で温めると良い香りがふわりと立ちのぼった。手の平で擦り合わせてから謙信様の髪に馴染ませていく。
毛先から中心に向かって揉みこんだ後は、クシャッとなった髪を下に引っ張るようにして馴染ませたのだけど…
「あの、見られすぎて穴が開きそうなんですけど…」
至近距離から見つめられて、精一杯目を逸らしたのだけど顔に熱が集中している。
今更見惚れられるような美人じゃないし、あのまま生きていれば美人確定だった可愛い伊勢姫とは比べるまでもないのに。
謙信「伊勢が何故舞の前に現れたのか考えていた」
「謙信様を待っていたけど私が湯殿に行っちゃっただけじゃないですか?」
謙信「しかし舞が水浴びを始めた後から伊勢は入ってきたのだろう?
脱いだものを見れば男か女かすぐにわかる。
伊勢は湯殿に居るのは俺じゃないと気づいて入ってきた、となると何故相手が舞だったのだろうな…」
まじまじと見られても私は伊勢姫じゃないんだからわかるわけがない。