第32章 私と恋愛する気ありますか?(謙信様)
謙信「まず女中のことだが俺は水風呂の手配をしたが背中を洗うようにという命令は出していない。
夕方湯浴みをしたはずだから、水を浴びる程度なら舞のことだ、女中の手は要らないだろうと思ってな」
「その通りですね…水を浴びて寝間着を着るくらい1人でできますし」
謙信「舞を世話したのは女中ではない。
この髪油を使い、特殊な髪のまとめ方をする人間はこの世に1人しかいない。さっき俺が口にした伊勢姫だ」
「姫……ですか?」
危なっかしい手つきで油を足していたことや、身体を洗うたどたどしい手つきを思い出し、女中ではなく姫だったのなら納得できた。
姫だったらお世話される側で、お世話したことはなかっただろう。
謙信「伊勢姫は俺が不甲斐ないばかりに、ずっと昔に死なせてしまった女だ」
「死………!?」
死んでしまった人間に体を洗われたのかと頭から血の気がひいた。
謙信「俺がまだ城主になりたての頃、伊勢は人質として春日山城にやってきたんだ。
俺と伊勢が仲を深めていくにつれて、快く思わぬ家臣に仲を裂かれてな…。
伊勢は世を儚んで自死を選んだ」
『できることならお傍で仕えたかったですが叶わず…』
そう言っていた顔は悲しそうだった。
(女中として仕えられなかったんじゃなく、謙信様との仲を引き裂かれたっていう意味だったの!?)
家臣の人達が快く思わなかったって、何それ…という気持ちがこみあげてきたけど伊勢姫が死んでしまっているなら、それはもう本当に取り返しのつかない出来事で……私が憤ったところで何かが変わるわけでもないのだろう。
(伊勢姫を死なせてしまって、すごく苦しんできたんだろうな)
そうなると当然恋人を作ろうなんて気分にはならないだろう。
お酒を飲んで刀を振り回し、超ぶっとんだ人だと思っていたら、そんな過去があったとは知らなかった。
思わぬ出来事で謙信様の女嫌いの真相にたどり着き、鼻の奥が痛んだ。
知ってしまった今となっては幽霊だと怖がってしまって悪かったと思う。もう一度湯殿に火を点したら、彼女とまた会えるだろうか?
お姫様育ちなのにお世話してくれてありがとうって言いたい。
本当は私じゃなく謙信様に会いにきたかもしれないのに、水浴びしに行ったのが私でごめんなさいって言いたい。