第29章 ❤︎ ALMONDROCA 花巻貴大
どんなに夢心地でも朝がくればまた現実に戻る。誰も居ない給湯室で一人コーヒーを煎れながら昨日の夜のことを思い出していた。
そう言えば別れ際、花巻君からはコーヒーの匂いがした。思い出すだけできゅんと胸は切なくなる。だからせめて、コーヒーの香りが消えるまでは昨日の余韻に浸っていたい。
そう思っていても現実は甘くなくて、まだ出社するには早い時間に給湯室に現れたのは及川さんだった。
「おはよ」
「…おはようございます」
「廊下までいい匂いがしたから誰か来てるのかなと思って。お邪魔だった?」
「いえ…、そんなことないです。及川さん早いですね」
「まだ慣れないうちは初心に戻って仕事しないとさ」
「真面目なんですね」
「仕事は楽しいからね…。色んな仕事任せて貰えるのは嬉しくもあるし」
及川さん…、一見チャラそうに見えるけど根は真面目な人なのかな。でも昨日花巻君からの忠告が気になっていて出来るなら早々にこの場を去りたい。
「ねぇ柳瀬ちゃん。俺にもコーヒー煎れて欲しいな」
「はい。分かりました…。じゃあ後で席まで持って行くので」
少し冷たいかな…とは思ったけど背を向けてマグカップをもう一つ取り出して注いでいく。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
「え?」
「もっと楽しくやろうよ」
肩に手を置かれたと思ったらそのまま引き寄せられるように抱き締められる。うっかり手を放してしまったマグカップがシンクに落ち、せっかく煎れたコーヒーが流れていく。
「ちょっ、と」
「ねぇ…、こういう社内恋愛ってドキドキしない?」
思ったよりも強い力で抱き締められて、身動きがとれない上に耳元にかかる息が気持ち悪い。