第10章 及川の彼女 岩泉一
シャツのボタンを外していきながら、素肌に口付けていく。懐かしい香りと体温。記憶の中の情景は今もありありと浮かびあがる。
ただひとつ違うのは、俺を拒絶して泣いているのがいちかという事。あれほど好きで大切でいつも笑っていて欲しいと願っていた彼女が俺の腕の中でむせび泣いている。
「……や、めて」
か細い声が耳に触れても体は止まらない。
「止めねぇ」
「やだよ、…こんなの。……どうして」
露わになった肌には首元に薄くなったキスマークの痕。いちかはもう俺のもんじゃなくて、及川のもんなんだよな…。なのに俺、何やってんだよ。
「俺も……、どうしてかもう分かんねぇよ」
ただ今は苦しくて、どうしようもないくらいに胸が痛くて。こうすることしか出来ない自分が憎くて情けなくて腹立たしい今、目の前に起こってる事が現実なのか夢なのかさえももう分からない。
「だったら、…ちゃんとしろよ」
「え……」
「お前ら二人がずっと幸せそうに笑っててくれたら、俺はそれでよかったんだ」
なのになんで、こんな互いに傷つけ合ってんだよ。別れたあの日に全部済んだことだろう。傷つくのなんて俺だけで十分だった筈なのに…。
「……ごめんな、さい」
どうせいちかのことをこの先も嫌いにもなれず、忘れることもできねぇんだ。だったらいちかのいるところまでいっそのこと堕ちてしまいたかった。
こんな事になって自分の想いの深さを知るなんて、残酷過ぎんだろ。
いちかの頬に涙の雫が落ちていく。守りたかったものが自分の手の中で壊れていく感覚は痛みすら麻痺させて、涙だけが止めどなく溢れていく。
言葉に出来ないこの想いは濁り淀み、憎しみと表裏一体の愛情なのかもしれない。