第72章 結婚するまで帰れません(1) 岩泉一
夕飯を食べにくるということで当然母親は大喜びだった。とは言っても俺は同じ食卓にはつかず一人テレビ前のソファーを陣取って反抗期の子供みたいに背を向けていた。これ以上あいつのペースに巻き込まれるのは嫌だった。
「明日からずっと食べに来なさい」
「それはさすがに。自炊もしとかないと」
「花嫁修行も兼ねて?」
「そうですね…。そうなればいいんですけど」
「偉い。ねぇ一、今の聞いた?」
俺は返事もしないで黙々と飯を頬張る。
「ほんとごめんね、いちかちゃん。ぶっきらぼうで…。幼馴染の及川君の愛想を少しくらい分けて貰えばいいのに」
「幼馴染がいるんですか?」
「そう。同じ学校だしバレー部だからそのうち会えるわよ。あ、でも及川君イケメンだから心変わりしないでね」
「それは大丈夫です。一さん一筋ですから」
「ほんといい子だわ。こんな愛想ない息子を気に入ってくれて」
「一さんは私の理想のドンピシャ、どストレートなので」
「なら安心だわ。こんな風に言ってくれる子、初めてだもの」
「好きな人にはみんなそうです。それより、このおかずすごく美味しいです。一さんも好きなら今度作り方を教えてください」
「一!ねぇ聞いた!お母さん、こんな風に言われたかったの!いつでも教えるから。一がいなくても用がなくてもうちにはいつでもいらっしゃい」
「はい。ありがとうございます」
大袈裟に互いを褒め合って女同士の話ってなんでこんなに面倒くさいのか。これ以上聞いてられねぇって、さっさと飯を終わらせて俺はそのまま無言で部屋に戻った。
しんと静まった下の部屋からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。こんな時になってなんとなく可哀想だと情に棹差してしまったのを後悔してしまう。女が絡むとろくなことはない…、それは分かっていたはずなのに…。
「くそ…っ、何やってんだよ。俺」
立てかけてあったヘッドホンをつけると聞こえてくる声を遮断するようにボリュームを上げた。