第1章 ─ しのぶれど ─
咄嗟に答えられずに黙り込むと、図星だと解釈されたようだ。
「そうか……通りでどこかで見たような子だと思ったんだよ」
「え…あの…」
「君が五つくらいの時に一度、子爵と一緒のところを見かけて声を掛けたことがあるんだ」
君は覚えていないだろうけど、と付け加えて、柔らかく微笑んでくれた。
トクン…と胸が波立つ。
この優しい紳士は一体何者なのだろう……。
「ああ、すまない。まだ名乗ってなかったね。私は時任弥一。君の父上には昔仕事でお世話になったんだ」
初めて聞いた名前だけれど、この身なりや言葉遣いから、身分の高い人なのは解る。
「……ところで、この子はまだ妓楼には属していないのだね?」
時任さんが男に問うけれど、私は何のことか解らなくて小首を傾げる。
「ああ。これから交渉に行くところでね。家柄をご存じなら話が早い、どうです?旦那、今の内にこの女に唾つけきやせん?」
男の発言に眉がピクリと動いてしまう。
時任さんに私の最初の客になれ、と言っているのだ。
「少し幼い顔をしてやすが、なかなかの上玉ですぜ。この歳だとすぐに留袖新造として床入りするでしょうな」
「………ほう。それで君はこの子をいくらで売るつもりなんだい?」
「落ちぶれているとはいえ子爵の令嬢だからねぇ……五千圓は固いかと」
「まぁ、そのくらいはするだろうな」
五千圓のお金があれば、借金が返せる。
自分にそんな大金を払う価値があることに驚きだが、今は時任さんが私のお客さんになるのかどうかが気になった。
ほんの少し……少しだけど、この人ならいいかも……なんて、思ったりも……。
だけど、私が想像していた遥か上の言葉を時任さんは男に告げた。
「ならば、私が一万出してこの子を買おう」