第40章 欲しかったのはそっちじゃない✳︎無一郎君
けれどもその後すぐに
”僕ね、記憶障害が治ったんだ!”
そう言いながら思わずつられてしまう程の笑みを浮かべていた”時透様の顔”と、先程見た泣き出してしまいそうな程にゆがめられた”時透君の顔”が2つ同時に私の頭に浮かびあがり、胸が苦しくなった。
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”あれ?君、なんで僕の邸にいるの?”
邸に帰られた時透様は毎度必ず私にその質問をしてきた。
”お帰りなさいませ時透様。私は時透様のお邸で家事炊事全般をさせていただいております隠、柏木すずねです”
”…そう言えば、この間も同じことを聞いた気がする”
”はいそうです。何度でもしつこく自己紹介をさせていただくので悪しからず”
”あっそ。ま、どうせまた忘れるけど”
その後に続くやり取りも、言葉尻が違うことはあれど、基本的に内容はいつも同じだった。
なのに。
「ただいま」
「おかえりなさいませ時透様」
「今日はなに作るの?」
「もちろん今日は時透様の好物のふろふき大根を……え?」
そんな時透様とのやり取りに
……いつもの会話の流れじゃ…ない?
私は思わず大根の下茹でをしていた手を止め、時透様の声が聞こえてくる方に顔を向けた。
顔を向けたその先には当然先程会話を交わしていた相手である時透様がいるわけだが
「すずねさんの作るふろふき大根、なんだかんだで僕の口に一番合うんだよね」
「…そ…それは…ありがとうございます…?」
きちんと会話を交わしているということに、私は驚愕した。
「…その間抜けな顔、やめた方がいいよ?」
紡がれたその言葉に、相変わらずの辛辣さは含まれているものの、その顔に今まで感じられることのできなかった”表情”がある気がしてならない。
「…あの、時透様」
「何?」
「……私が誰か…わかるのですか?」
惚けたような声でそう尋ねた私に
「…うん。わかるよ」
時透様は、にっこりと笑みを浮かべ
「僕ね、記憶障害が治ったんだ!」
初めて見る、年相応の表情を私へと向けてくれた。