第32章 迷子の迷子の鬼狩り様✳︎煉獄さん
”売られる”
それを理解すると同時に、先ほどまで怒りで震えていた私の身体が、恐怖で震えだす。
連れていかれたら、売られてしまったら、そこから容易に出ることは叶わない。
…そんなの嫌…っ!!!
頭の片隅で無駄だと理解しながらも、縺れる脚を懸命に動かし部屋の隅まで走った。けれどもやはり、この隠れ家の広さなんてたかが知れており、男が袖から茶色い瓶と、白い布を取り出したのが見えた。瓶の蓋を開け、逆の手に持っている布に薬剤をしみこませながらこちらに近づいてくる男に、その先にどんな展開が待っているのか嫌でも想像がついてしまう。
「…っ…いや!来ないで!!!」
その言葉を男が聞き入れてくれるはずもなく、男と私の距離はどんどん縮まっていく。視界の端に映り込んだ叔父は、相変わらずニコニコと気味の悪い笑みを浮かべながら私のことを見ていた。
…だめだ…もう…逃げられない
けれどもふと、一つの案が頭に浮かんできた。
そうだ…簡単なことだ。地獄のような場所に連れていかれるくらいなら、死んで天国にでも行った方がましだ。そうすれば…両親にも会える
急に静かになった私を、叔父も男も不思議そうな顔で見ている。精一杯の嫌味を込めた笑みを浮かべ
「あんたの思い通りになるくらいなら…死んだ方が100倍まし」
口から舌を出すと
「…っおい!そいつを止めろ!!!」
止まるかばぁか
上下の歯で思い切り噛みしめようと力を込めた。
その時
ばぁぁぁぁん!!!
「…っ!」
「…っなんだ!?!?」
轟音とともに、部屋に砂埃が舞い上がる。
「鬼狩りになり数年経つが、こんな明るい時間に平気で活動する鬼を見るのは初めてのことだ」
耳に届いたその声に、全身に入っていた力がふっと抜けた。
「誰だお前!?鬼だぁ!?ふざけてんのか!?」
「はっきり言って名乗りたくない。だが…聞かれたのに答えないのは俺の信念に反する」
顎に手を当て、むぅと悩んでいるようすの煉獄様だったが
「うむ。俺の名は煉獄杏寿郎」
顎に当てていた手をおろし、身体の正面を叔父の方へとスッと向けると、私にそうしてくれた時と比べてかなり低めの声色でそう名乗った。