第10章 『実家に帰らせて頂きます』【其の弍】
廊下を挟んで反対側の襖を開けると殆ど物はなく整然とした部屋。
父は必要以上に物を持たない性格だが、兎に角母をとても愛していて優しかった。
私たち子ども達にもちろん優しい父ではあったが、いつ何時も母のことを一番に大切にしていたと思う。
異国の地から薬師としての知識を買われて単身でこの国に来た母。この国の知り合いから聞いていたため、此処に来た時には流暢に日本語を喋っていたと言う。
そんな母を見初めたが、最初は結婚することを躊躇ったらしい。
自分は陰陽師の末裔で神楽家の当主としての立場がある。
薬師として素晴らしい活躍をしていくだろう母を陰陽師の里に縛り付けることなど出来ないから…と、母との結婚を諦めようとしたそうだ。
しかし、そんな父の優しさを知って、母はそれでも一緒に居たいと陰陽師の末裔である父との結婚を決めたそうだ。陰陽師の末裔であることを知った者達は漏れなく"忘れ薬"を飲ませられてその存在すらも忘れさせてしまう。
それほど"陰陽師"であることをひた隠しにしてきたのだ。
父も母と別れを決めた時に一度その薬を飲ませようとしたところ、母が拒んで結婚することを決めたと言う。
母は薬師としての地位も名誉も全て投げ打ってでも父と結婚することを選んだ。
だから父はあんなにも母を大切にしていた。
陰陽師の血は受け継がれていくため、母は陰陽道を使えなかったが、私と兄四人は幼い頃よりそれを習得するための鍛錬を受けた。
父は兄妹五人とも分け隔てなく可愛がってくれたが、私だけ唯一の娘で嫁の貰い手がなかなか決まらなかった時はきっと物凄く心配していたことだろう。
でも、決して"早く嫁に行け"などと言ったことはなかった。
「ほの花もちゃんと愛してくれる人が見つかったら結婚すればいいんだ。」
そう言ってくれていたのは母との大恋愛の末に結婚した自分の経験から得た人生の先輩としての応援だったのだろう。