第35章 約束
歌は好きだった。だからといって上手いわけではない。普通に歌えるというだけ。
ただ陰陽師の里に娯楽は何もなかったから。
花火大会だってなければお祭りもない。
鰻屋さんだってなければ甘味処だってない。
もちろん遊郭だってない。
そんな何もないところに十九年間生きてきた私は外の世界に強い憧れを持っていた。
『もっといろんな歌を聴いて、いろんなところで歌ってみたいなぁ』
ちょうど一年ほど前に私はお父様にそんなことを言ったのを覚えている。
いつもなら町に行くことすら反対されて、あまり連れて行ってもらえない。
それなのにその日は違った。
お父様は私を見ると穏やかに笑って頭を撫でて
そして、こう言ったのだ。
『…そうか。それなら行ってみるか?正宗達も連れて行くならば許可しよう。いろんなところに行ってみなさい。』
思えば何故、あそこまで頑なに里から出ることを制限されていたと言うのにあの日、お父様は許可してくれたのだろうか。
違うかもしれない。
確信があるわけではない。
でも、今思うこと──
アレは私を守るためだったのではないか?ということ。
私の血をこまめに採っていたのは、珠世さんの話が本当ならば対鬼舞辻無惨用の何かを研究していたから。
そしてあの日、"たまたま"私がいない日に里は鬼に襲われた。
兄達は無残な姿に
父は鬼にされて
母は瀕死
里の人たちは皆殺し
"たまたま"にしては随分と出来た話だ。
もしかしたら…父は…何となく悟っていたのかもしれない。
鬼が里を襲うことを。
鬼が里を襲ったとき、一番バレてはいけないことは神楽家に女児が生まれていたと言う事実。
両親が私の婚儀を望んでいたのは一般人の中に紛れ込ませて普通の生活をさせたかったから。
でも、私は残念ながら貰い手がなかなかつかずに十九になるまで里に居座ってしまった。
上手くいかないことばかりだっただろう。
それでも唯一うまくいったことと言えば、今も尚、私が生きていると言うこと。
陰陽師の血が途絶えようとも父が守ってくれた私の血は今、珠世さんに託された。
鬼殺隊として間違った判断だとは思わない。
陰陽師の末裔としても間違ったとは思わない。
私の血が役に立つならば喜んで差し出そう。
今ならそうやってはっきりと言える。