第34章 世界で一番大切な"師匠"※
ズカズカと部屋の中に入っていくと明らかに嫌そうな顔をしたけど、構わずに薬箱を広げた。
今日はだいぶ産屋敷様のところで使ってしまったけど、予備で持ってる薬草まで使えば何とかなりそうだ。
「腹痛はありますか?」
「………。」
しかし、愼寿郎さんは縁側で外を向いたままこちらを少しも見ない。
無視する気なのだろうか。でも、先ほどの反応から腹痛があるのは明らかだ。
「お臍より上か下かどちらですか?」
「………。」
胃の痛みなのか、腸の痛みなのか。
どちらか確認しておく必要があるのでそう聞いてみても彼は答えない。
ただ痛みがなければ「ない。」と答えそうだし、そのまま問診を続けた。
「両方ですね。分かりました。」
「何も言ってないだろう。何故分かる。」
「あ、両方でしたか。今わかりました。」
「……貴様、良い性格してるな。」
分かるわけない。
流石に患者の症状は患者にしか分からないのだ。いくら優秀な薬師だって対症療法するためには患者を知るところから始めるのだから。
「では、胃腸薬を処方しておきます。お酒は当分控えて、刺激の強い食事もやめてくださいね。食事の前に白湯を一杯飲むといいですよ。」
「あんた、音柱の女か。」
「……いえ。違います。」
先ほどまではこちらを見向きもしていなかったのに、チラッと見たかと思うとそんなことを聞いてきた。
よりにもよって何故今聞くのだ。
その答えは分かりきっている。
いくらそうだと答えたくとも今は許されない。
「継子が二人もいるのか、あの小童のところは。」
「……?いえ、私一人ですが。」
「だったらお前のことだろう。何故隠す。アイツが此処に来るとよく継子の恋人の惚気を散々して帰って行った。」
隠したわけではない。
今の私は違うのだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「…師匠には素敵な奥様たちがいらっしゃいます。ふざけてそのような戯れを言っていたのではないでしょうか。」
「事情は知らんがアイツはふざけて何度も惚気をいう男じゃないだろう。いつだってアイツの目は真剣だった。」
「…私は、ただの継子です。」
頑なにに肯定しない私を見て、愼寿郎さんはそれ以上突っ込むことはしなかった。
その代わり、静寂が部屋の中に訪れ、薬を調合する音だけが耳に響いていた。