第30章 "初めて"をください※
トクン、トクン──
宇髄さんの胸に顔を埋めていると聴こえてくるのは彼の心音。
何でこんなに安心するのだろうか。
大嫌いな蝉を目の当たりにしてこの世の終わりかと思ったのに、不思議とこの腕の中にいてこの音を聴いていれば硬くなっていた自分の体が弛緩していくのが分かる。
聴こえるのはそれだけではない。
こんな大きな体をしているのに小さな足音。きっと忍時代の名残なのか、癖なのか。宇髄さんは本当に足音が小さい。
本気を出せばほとんど鳴らすことなく走ることもできるだろう。
それなのに今日は耳をすましているからかそれが聴こえてきて心地が良かった。
すると、ゆらゆらと揺れていた体が止まったかと思うと、上から降ってきた声で現実に引き戻された。
「おーい、ほの花?もういなさそうだけど、どうする?家まで抱えてやろうか?別にお前重くねぇし。」
大嫌いな蝉のせいでこんな状況になってしまったが、いないのであれば運んでもらうのは申し訳ない。
「あ…!あ、りがとう…。もう大丈夫だから降ろしてくれる…?」
「そうか?じゃあ、降ろすけど無理はすんなよ?」
ゆっくりと降ろしてくれて、足が地面についたところで立とうとしたのだが、踏ん張りが利かなくて結局彼の腰に抱きついてしまった。
「ふぇ、…!」
「腰抜け抜けてんじゃねぇかよ…!お前、本当に蝉なんかが嫌いなんだな?ハハッ…、駄目だ、ごめん…。くっ、ハハハッ!!」
こちらは死活問題だと言うのに大笑いをしだす宇髄さんに不満しかない。
しかし、体は正直なもので蝉の破壊力は凄まじく足腰は完全に抜けていた。
ただでさえ昨日の夜の情交の負債で腰が痛かったと言うのに、今度は腰が抜けて歩けないなんて情けなさすぎる。
「うぅ…!もう!酷いーー!!天元の馬鹿!!もう知らない!!這って帰るからいいもん!!」
「馬鹿馬鹿…。悪かったって…。くっ、あはは…っ!」
その場で座り込んでしまった私の前に屈んで目線を合わせてくれた宇髄さんだけど、プイッと視線を逸らすと不満を露わにする。
宇髄さんからしたら、たかが蝉かもしれないが、私からしたらされど蝉だ。
そんな笑われても怖いものは怖い。